今週の山頭火句

今週の山頭火句 あるけばかつこういそげばかつこう  山頭火

2012年3月27日火曜日

一草庵だより第23号

一草庵だより第23号をお届けします。
今回は「第6回俳句一草庵」の俳句募集記事があります。また、県外からは引き続いて「信州の山頭火」の投稿や「山頭火ふるさと会」(防府)「新たに山頭火句碑が除幕しました」(人吉)などの原稿をいただいています。
どうかお楽しみください。

《内容》
第1ページ
・ 「第6回俳句一草庵」俳句募集 投句締め切り4月21日(土)
                                  (関連記事はここをクリックしてください)
・ 「山頭火と大山澄太先生」に学ぶ(第2ページに続く)
      生前交流のあった廣田弘子さんの原稿より(関連記事はここをクリックしてください)     
・ 今月の山頭火句
      ふるさとは遠くして木の芽           (関連記事はここをクリックしてください)


第2ページ
・ 山頭火ふるさと会のこと
・ 新たに山頭火句碑が除幕しました

第3ページ
・ 信州の山頭火(2)
 ※ 昭和11年5月10日の佐久の鼻願稲荷神社での山頭火との貴重な記念写真を
 関口父草のお孫さん、関口不二人さんが提供してくださった。
   53歳の山頭火の姿が、若々しい。
   1027mの閼伽流山(アカルサン)にも登っている。
   そして、懐古園へ。藤村が愛した旅館、「日本秘湯を守る会」で人気のある
   中棚荘に泊まっている。

・ 松山そぞろ歩き 山の辺のみち桜模様(第4ページに続く)


第4ページ
・ 案内人、徒然ばなし
・ 十六夜柿の会椿神社に俳句奉納
・ 編集後記

2012年3月25日日曜日

訪庵録


寒空の下咲く山椿と一草庵
久しぶりに訪庵録をお届けします。暖かくなったと思ったらまた急に寒さがもどってくる、一草庵もそんな日々の中にあります。今日はことさら風の冷たい一草庵です。

あすは入営の挨拶してまはる椿が赤い
                      山頭火
椿おちてゐるあほげば咲いてゐる  
                      山頭火




黄色が映えるヤマブキ
知らない土地でのご子息の手術、さぞ心もとない思いをされたことでしょう。山頭火さんとの出会いも何か運命的なものを感じるのは、私だけでしょうか。ぜひ、また松山に、一草庵にお出かけください。
一草庵にも少しずつ春の足音が近づいています。




一草庵に来ると、なぜか素直な自分に会える気がします。お母さんを慕い、感謝の気持ちを伝えていらっしゃる姿に心打たれます。山頭火の有名な句にもそれがあります。

 母の47回忌  うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする   山頭火

庭石のそばに可憐に咲くすみれを見つけました。草花の好きだった山頭火さんならどんな句を詠んだのでしょうか。すみれではないけれど、こんな句がありました。

   名もない草のいちはやく咲いてむらさき  山頭火


 大阪からも台湾からもこの一草庵に来てくださいました。多くの旅人が山頭火さんとの出会いを求めてこの地を訪れます。こうしたご縁を大切に、今日も時間が流れて行きます。 
まだまだ蕾が固いさくらですが、春はもうすぐです。今年もきれいな花を見せてくれることと思います。

2012年3月21日水曜日

一草庵「今月の山頭火句」(3月)

ふるさとは遠くして木の芽

 其中庵時代の句、古里も妻子も捨てた山頭火には、古里は心の中にありつゝも
帰るには遠い存在であっただろう。
「雨ふるふるさとははだしであるく」の句も読む者にも沁みてくる。(ちとせ)

この句は、今から80年前の3月21日に作った山頭火の句。


 日記によると、昭和7年3月21日
 彼岸の中日。晴れて、風が吹いて、この孤独の旅人をさびしがらせた、行程八里、
早岐(※長崎県佐世保)の太田という木賃宿に泊まる。(30・中)
   ふるさとは遠くして木の芽  とある。

 芽吹く木々を見ても、ふるさとは遠い。
  ふるさとに帰りたいけれど、帰れないのである。
 3月14日から20日まで、嬉野温泉、筑前屋に滞在している。

日記に、こんなことを綴っている。
嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独な旅人が草鞋をぬぐによいところです。
私も出来ることなら、こんなところに落ちつきたいと思います、云々。

こゝに落ちつくつもりで、緑(※木村緑平)、(※田代俊和尚)、(※石原元寛)の三君へ手紙をだす、緑平老の返事は私を失望せしめたが、快くその意見に従ふ、俊和尚の返事は私を満足せしめて、そして反省と精進とを投げつけてくれた。
 とにもかくにも歩こう、歩かなければならない、ここですつかり洗濯した、法衣も身体も、或いは心までも。

 山頭火後援会なるものが出来て、旅に疲れた山頭火のために小さな庵をたててやろうという
動きもあり、嬉野結庵を申し出たのであったが、後援会の資金はそれほど集まっていなかった。
結庵は早いという返事であったのだろう、またひょうひょうとして、歩きはじめる山頭火であった。
 
嬉野温泉でのこと、井手酒造の「虎之児」を飲んで、こんな句を詠んでいる。
     湯壺から桜ふくらんだ
     ゆつくり湯に浸り沈丁花

ふるさとは遠くして木の芽」の句碑が
昭和57年山頭火生誕百年を記念して、防府天満宮に建立されている。



 昭和6年12月、第二の故郷・熊本にも落ちつくことのできなかった
うしろ姿のしぐれていく山頭火は、旅に出て、昭和7年春、嬉野温泉へ滞在。
嬉野にも落ちつくことが出来ず、関門海峡を渡って川棚へ。
川棚結庵を腹にきめ、設計図まで自分でこしらえるのだが、ままならない。
行きつく処は、盟友・国森樹明の世話で小郡へ。
武波憲治の離れ座敷を借りて、「其中庵」庵主となる。

長い漂泊の旅に疲れて、ふるさとを恋うる日が多く、ふるさとの句は多い。
俳人山頭火は、「ふるさと」を象徴して表現しているので、
読み手は、人それぞれいろいろなふるさとを心に描く。

    ふるさと遠い雨の音がする            昭和7年4月3日 平戸
  ふるさとはみかんのはなのにほふとき    昭和7年5月24日 川棚
    ほうたるこいこいふるさとにきた        昭和7年6月1日 川棚
    雨ふるふるさとははだしであるく             昭和7年9月4日   防府
   ふるさとのこゝにも家が建ち                  昭和7年8月2日  防府

 次のような、ふるさとの句もある。

  年とれば故郷こひしつくつくぼうし               昭和5年
  故郷の人と話したのも夢か                    昭和5年
  ふる郷の言葉となつた街にきた                昭和5年
  あの汽車もふる郷の方へ音たかく              昭和5年
    冬空のふるさとへ近づいてひきかえす           昭和5年
   おもいでは汐みちてくるふるさとのわたし場     昭和8年
   ふるさとの水をのみ水をあび                        昭和9年
   彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり         昭和9年
   ふるさとはあの山なみの雪のかがやく             昭和11年
    ふつとふるさとのことが山椒の芽                    昭和13年
    ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにゐる     昭和13年

 山頭火が慕った、ほかいびと~井月のふるさとを思う句があった。
<井上井月  文政5年(1822年)?~明治20年2月16日(1887年3月10日)>
 山頭火もまた、同じ気持でないだろうか。

  寝て起きてまた飲む酒や花心  井月

(田中泯の踊るような”ほかいびと~井月”観てみたい、映画「たそがれ清兵衛」を思い出す。)
             http://www.youtube.com/watch?v=3AE_usuOuC0

それでは、山頭火句の英訳を紹介しておきます。

 Oh! my old  home
           in   the   distance;
                Here, new   tree   buds.  西村秋羅

  <<追伸・一草庵の風景の紹介>>

枝に花が梅のしづけさ 山頭火
 <一草庵の近郊に、早咲きの桜が咲きはじめました。>
浄土宗・不退寺の椿寒桜が満開です。

 
十六日桜(吉平屋敷跡)が、やっと咲きました。
  松山、吉藤の三島神社の薄紅寒桜、隠れた桜の穴場です。
  今、3月20日松山で一番綺麗な桜のようです。書家・米山の石文がさりげなく迎えてくれます。
  神社拝殿には、左に日本たちばな、右に桜が配置。
  たちばなは、京都御所からの接ぎ木です。
右、上世神皇道 左、萬機先神事
吉藤・三島神社の薄紅寒桜

2012年3月11日日曜日

3月10日、一草庵・山頭火の日「水のような心」。

今日3月11日、東日本大震災から1年、祈りを捧げます。
昨日、3月10日は一草庵・山頭火の日として、「山頭火と大山澄太さん」の勉強会をしました。
「鬼怒鳴門(キーン・ドナルト」は、ドナルド・キーンさんの雅号。
3月8日に、日本の国籍を取得されています。
今、がれき処理は6.3%、がれき処理に協力したがらないに人々に、鬼は怒っているようです。
ドナルド・キーン先生は、2009年松山で開催された「全国山頭火フォーラム」に来ていただき、子規や山頭火の話をしてくださった。
キーン先生は、日本を終焉の地として選び、山頭火は終焉の地として、松山を選んだ。
山頭火は、平泉を訪ね、毛越寺で次のような句を詠んでいます。
   ここまでを来し水飲んで去る   山頭火 

 大山澄太先生と親交のあった廣田弘子さんから送られてきた「山頭火と大山澄太先生」の原稿をもとに、お話をした、少しだけ紹介。
 澄太先生の「水のような心」のお話。


書・澄太

 『落葉の底を、あるかなきかに、流れている水が、ひとたび崖にかかると、素晴らしい力で身を捨てて、岩上に落下する。
 また流れが浅瀬にかかると、さらさらと、淨(きよ)らな歌を、
歌いて流れるかと思うと、淵に溜まると、青く澄み切って、深い沈黙を守り大きな魚を遊ばせる。
 水はこのように、くよくよしない。そして後に戻らない。
 どんなことがあっても、前向きに流れ流れて、大海に入ってゆく』と。
 流れ流れて、青く澄んで溜まった、浄化された澄太先生の水の中に、山頭火さんは、大きな魚となり遊ばせてもらったのではと、想像を巡らす。

  濁れる水の流れつつ澄む    山頭火

 一草庵にて、石に刻まれている山頭火の晩年の作品である。
 この句は、晩年を迎えた現在の私の心境と重ね合わせた、心に沁みる一句である。
 澄太先生の「水のような心」と相通ずるものがあるのではないだろうか。
  
 流れつつ澄む、と詠う俗臭を離れた山頭火の穏やかで静逸な心境に安らぎを、覚える私である。奇しくも御縁ともいうべきか一草庵の近くに住んでいる私は、山頭火が歩いた川辺を、時々散歩する。
     「濁れる水の流れつつ澄む」
              澄みし川面に吾影映す    廣田弘子
  
       <補足> Tさんに借用した澄太書の軸を、一草庵の床の間に掛けました。
               まつたく雲がない笠をぬぎ  山頭火
              心の雲もなくなつた青い空  澄太

 今日の新聞には、(震災の思い)
 「時は流れない。雪のように降り積もる。」とあった。
 衣・食・住、そして仕事、早く早く対策が必要ですね。
 ふと、山頭火の句を思い浮かべました。

   生死の中の雪ふりしきる
   濁れる水の流れつつ澄む

 この山頭火の日、一草庵来庵者は、80人。
 山頭火の勉強をしたいと、小学三年生が来てくれた。
 「貴女と同じ年に、山頭火さんはお母さんを自殺で亡くしたのです。
放浪の旅をしながら、その御位牌を抱いてお寺に詣でて、成仏できるようにお祈りしていたんですよ。そして死ぬまで俳句を作り続けた人です。…」
仏壇には、いつものようにAさんが、手作りのおうどんを供えてくれている。
   うどん供えて、母よ、わたしもいただきまする  山頭火

 その他、松山三庵めぐりの御一行、相原左義長先生と俳句の仲間たち、
 東京、岡山その他県外人たちが、梅の花咲く、一草庵を訪れた。

2012年3月9日金曜日

3月10日(土)は一草庵・山頭火の日。

澄太さんの句
3月10日は、一草庵・山頭火の日です。
昨年は、山頭火が3度にわたって足を運んだ信州の俳人・井月について勉強しました。
井月の亡くなった日が、明治20年3月10日(旧暦2月16日)のこともあって。
http://www.youtube.com/watch?v=Ol5WKmCKYT0


今年は、山頭火を世に出した第一の功労者・大山澄太さんについて学びます。
年に1冊、経本仕立の山頭火の句集を出雲の安部栄四郎さんの手漉き和紙で作って上げた人。

澄太先生に指導を受けた廣田弘子さんから、講座原稿が届いています。
それをもとに皆さんと「山頭火と大山澄太」について、お話します。
澄太先生、ご存知の方は、是非ご参加しスピーチを。

日時  平成24年3月10日(土) 10時30分~11時30分
場所  一草庵(松山市御幸1丁目)

広島県・三原に臨済宗佛通寺派大本山佛通寺があります。
大山先生は佛通寺管長・山崎益洲に参禅。
山頭火を益洲老師に逢わせています。
あけはなつや満山のみどり
澄太の書による山頭火句碑が昭和19年に建立されています。

澄太先生の知られざる一面を紹介しておきます。
昭和16年12月8日(真珠湾攻撃の日)
大山澄太さん
益洲老師のお伴をして、宮内庁へ行く。宮内大臣からひそかに開戦の経緯を聞く。
東條首相は憲法に違反し、天皇陛下の御意にも反して戦争を始めたという。
その夜、大山先生はこのような不忠者の命を受けて働けないと決意して、
辞表を出し、退官する。
時43歳、高等官として、前途洋洋の時、月給なしの生活を送る。

澄太翁92歳の著作に「俳禅一味の山頭火」があるが、澄太さんこそ、俳禅一味の人だったのではないだろうか。


益洲書「雲晴心月幽」


益洲禅師の弟子双璧は、大山澄太さんと軍神といわれた杉本五郎中佐ではないだろうか。
杉本五郎のことはよく知らないが、あの弁慶のように、立ったまま弾丸を受けて絶命した人らしい。
妻に送った20通の手紙、私蔵すべきでないと出版された「大義」という本は戦争下の青少年のバイブルとなり、130万部も売れたそうだ。
山岡荘八「軍神杉本中佐」城山三郎「大義の末」の著作がある。
3月10日が楽しみだ。

2012年3月5日月曜日

開演近づく!「なにもいらない 山頭火と放哉」

劇団《俳小》から、リフレットが届きました。
「なにもいらない 山頭火と放哉」の公演、もうすぐ開演します。
     日時:  平成24年3月21日(水)~25日(日)
    場所:  池袋シアターグリーン・ビックツリー
    入場料: 3500円 <03-3983-0644>

 大正時代から昭和初期、種田山頭火と尾崎放哉という二人の偉大な俳人に
よって、季語や五七五という定型句にとらわれない自由律俳句が大いに花開く。
制約がない句形だからこそ、俳人たちの技量、センス、感受性が問われる。

勿論、舞台は、松山・一草庵。楽しみですね。
今年の2月半ば、東京よりバスガイド役の鈴木藍実さんが、一草庵を訪れた。
山頭火と伊予弁の勉強で。
やる気満々。
朝ドラ「カーネーション」ではないが、その生々しい熱情こそが、画面からはみだす
リアリティーを生み、人の心を動かすのではないだろうか。
 東京、大阪で働いていた時のことを思い出す。(伊予弁のこと)
「大きな声で、おらぶな。」とか「その机のはたへ置いといて。」
というのが、わかってもらえなかった。
「おらぶ」とは大きな声で叫ぶことをいう。
「はた」とは、そばへということ。ふとそんなことを思い出しました。
宝塚出身の「旺なつき」さんと「山頭火」さんの絡み合いなど、楽しみですね。

 「なにもいならない 山頭火と放哉」
この言葉で、連想した俳句を紹介します。

  まつたく雲がない笠をぬぎ        山頭火
  いれものがない両手でうける   放哉

あなたなら、どんな句を思い浮かべますか。

また、「なにもいらない」という言葉より、こんな禅語を思い浮かべました。

  無一物処無尽蔵
  <なにもないところに、すべてのものが蔵(かく)されれいる>
 山頭火と面識のあった、佛通寺管長・山崎益洲老師の扇面を紹介して終わります。
益洲書「無一物処無尽蔵」

2012年3月3日土曜日

一草庵だより第22号

一草庵だより第22号をお届けします。
今回は「山頭火の日」や「第6回春の俳句一草庵」開催のお知らせがあります。また、全国から山頭火ファンの声をお届けする企画もはじめました。どうぞお楽しみください。

《内容》
第1ページ
・「山頭火の日」に学ぼう
       山頭火と大山澄太さんのこと
        *「山頭火の日」を紹介した別記事があります。
・今月の山頭火句
       「この道しかない春の雪ふる」
・一草庵で「ほろほろ句会」を開く  
       *「ほろほろ句会」を紹介した別記事があります。
第2ページ
・山頭火の俳句を読む
・建国記念日に寄せてー護国神社と山頭火と少年の頃
第3ページ
・信州の山頭火(1)
・松山そぞろ歩き
       石手川を歩く(第4ページに続く)
第4ページ
・案内人、徒然ばなし
・第6回春の俳句一草庵開催
・編集後記