今週の山頭火句

今週の山頭火句 あるけばかつこういそげばかつこう  山頭火

2016年12月18日日曜日

『第21回山頭火俳句ポスト賞』の表彰!

 『第21回山頭火俳句ポスト賞』の表彰。


(投句期間 平成28年7月1日~10月31日)  

表彰式は、山頭火の一草庵入庵日12月15日(木)に一草庵で行いました。



山頭火は、昭和14年12月15日に、高橋一洵さが奔走して見つけた一草庵に入ります。
その労苦に感謝して、一句捧げます。

   一洵君に
   おちついて死ねさうな草枯るる  山頭火

この日も、寒かったことでしょう。今日も冬一番の寒い日となりました。

入賞者を箏の演奏で迎えました。
表彰式の後は、各選者に選句された俳句について、お話をいただきました
続いて、お茶会を。

                                             
一草庵の「山頭火俳句ポスト」に投句された俳句は、147句。(内、県外句は13。) 
東京都、静岡沼津市、千葉市、千葉佐倉市、和歌山市、兵庫県神戸市、明石市、山口市、鹿児島市等、投句の中より、各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。 




                       
山頭火俳句ポスト大賞

赤とんぼ村に二人の百寿住む  松山市 中井ウメ子

【評】のどかな村の空気のきれいな所に百寿になるご老人が二人住んでいる。丁度、赤とんぼが舞っている頃だったのか。まことにおめでたいことだ。俳句として、一辺を切り取っただけであるが、その一辺で読み手は想像を膨らませることができる。ご老人は、男性か女性か。元気でまだ動ける人なのか。村はどういう景なのか赤とんぼの季語が素晴らしい。(本郷)

山頭火一浴一杯賞

ほどほどのけふの稼ぎや大西日  松山市 高橋孝伯

      
【評】稼ぎは「働く」を表すのが本義だが、働いて得る金の「稼ぎ高」の
略称としても用いる。掲句は夏の一日、働き終えて「ほどほどの」稼ぎ高
だったのを納得している。下五の「大西日」が、暑苦しい西日の強烈さを「大」と表現、働いた一日が酷暑であったのを暗示していて見事。(熊野)

山頭火柿しぐれ賞

あの世でも一浴一杯柿二つ   松山市 平岡喜代美 
       
【評】子規と山頭火のコラボ作品。飲まない日はさみしい山頭火はあの世でも一浴一杯を楽しんでいるだろうし、柿好きの子規は選句のあとの柿を楽しみにしているだろう。柿しぐれ賞にふさわしい作品だ。(小西)


小西昭夫選

【特選】
落着いて死ねさうもなし秋の暮れ 神戸市 大森 尚

 【評】この句を見ると、山頭火はやっぱり大したもんだと思う。ぼくらのような凡人はなかなか落ち着いて死ねそうな心境にはならない。秋の暮の中でもがき続けるのである。そんな凡人としての自分を客観化した滑稽さが見事だ。

【入選】
満月に背中押されて集金に    松山市 佐藤トラヱ

【評】 中秋の名月を愛でるのではない。集金に行くのだ。 なかなか苦労している集金先なのだろう。あまり、気が向かないので後回しにしていたかも。ところが、今日は満月の美しさに誘いだされたのだ。おかしい。

白石司子選

【特選】
道後の湯鯛めし俳句夏休み     明石市 中西園枝


【評】動詞は、句に流れを生み、表現を柔らかくするが、多用するとどうしても散文っぽくなってしまう。俳句は名詞とも言われる所以である。掲句は「道後の湯」「鯛めし」「俳句」「夏休み」と四つの名詞をただ羅列しただけのようであるが、下五に作者の思いが集約されている。俳諧の発句を俳句とした正岡子規生誕の地・松山に来て、道後の湯でゆったりし、鯛めしをいただき、おまけに俳句まで出来てしまう。こんな「夏休み」が過ごせたならば 最高だと思う。

【入選】
落着いて死ねさうもなし秋の暮れ  神戸市 大森 尚

【評】昭和十五年十二月十五日、山頭火が一草庵入庵の日に詠んだ「おちついて死ねさうな草枯るる」の本歌取り、つまり「もじり」の句。金子兜太師の言葉に「もじりうたは英語のパロディーにもあたることが多いが、しかし〈戯言に真実あり〉です。」というのがあるが、入庵に際しての山頭火の心象「落着いて死ねさう」も、また、掲句作者の「落着いて死ねさうもなし」も真実。もの寂しい「秋の暮れ」ともなると、ふと、「生と死」について考えてしまうのではないだろうか。

本郷和子選 

【特選】
主より威張る店先山西瓜        松山市 水口俊幸

【評】道沿いにある小さな店だろうか。山で穫れた西瓜がデーンと大き
く店先に座っている。それは、まるでその店の主より威張っているか のようだ。ユーモアと共にその店の主人の様子までもなんとなく見えてくる。思わず笑ってしまいそうな一句となった。
 
【入選】
敗北者勝者に秋の空高し        松山市 中井ウメ子

【評】スポーツの秋である。敗北者にも勝者にも、同じ秋の空は青々と広がっている。それは、勝者の歓喜の空の広がりではない。敗北者にこそ、その空の澄んだ青さ、美しさを仰いでほしいのだ。作者の心の内の優しさを感じるのである。

熊野伸二選

【特選】
ほうけては穂草の絮の旅はじめ   松山市 今岡美喜子

【評】穂草は穂の出た秋の雑草。禾本科(ほものか)や蚊帳釣草科の草などを指す。掲句は、これらの雑草の熟した実が、穂絮(ほわた)とともに風に運ばれて行く状態を詠んでいる。上五の「ほうけ」は「惚け」「耄け」で「ぼんやり」「もうろく」状況の意味。穂草の自然の営みに、何も考えないで旅にでも行きたい作者の心境が仮託されているようだ。

【入選】
玉梓に匿し事無き深空かな      松山市 西野周次 

【評】梓(あずさ)はノウゼンカズラ科の落葉喬木。玉は美称で読みは「たまずさ」。手紙を梓の木などに結んで、使者が持参した古事から「手紙」「ふみ」を指すようになった。掲句の「手紙」が、誰に、何を伝えたものか不明だが、近況報告であれ、詫び状、恋文であれ、思うまま、ありのままを伝えて解放感に浸る。見上げる秋空は澄み切って高い。