今週の山頭火句

今週の山頭火句 この木もあの木もうつくしい若葉  山頭火

2014年6月29日日曜日

逝きて1年、今日6月29日は、村上護先生の命日。

梅雨晴れ間、今日は慈眼慈悲のような人だった村上護先生の命日だ。
京都から帰ってきた。
 京都は清水三年坂美術館に立ち寄ったあと、凌霄花が眼前に迫って来たのです。

 のうぜんの花のほたほたふるさとは  

思わず護先生の句を思いだし合掌。
そして、ひとりで今日は”凌霄花忌”だと命名する。



頂いた句集「其中つれづれ」を開いています。

  祇園町どこ折れようと夏の月
  風死すや空也の吐ける阿弥陀仏

 などの京の句もあった。
 しかし、命を見つめるような”浄土”を詠った句が無数にある。

  花の参道このまま浄土まで行こか

 先生のありし日の姿を写真で偲び、その山頭火顕彰活動に敬意を払い、感謝の気持ちを捧げます。


 



2014年6月23日月曜日

「文学の薫る街」(FM東京・FM愛媛共同制作) 6月29日19:00~オンエアー。

「文学の薫る街」
 道後温泉本館改修百二十周年特別番組が、6月29日(日)<19:00~19:55>オンエアーされます、全国放送で。

FM愛媛番組紹介


 FM愛媛さんから、文学の街・松山の魅力を番組にしたい、ぜひ山頭火さんゆかりの一草庵の取材もしたいとの電話をいただいた。6月8日(日)のことだった。

 どうも、ハードなスケジュールのようで、なかなか来られないのでベンチで寝ていた。

芥川賞作家の平野啓一郎さんが来られた。打合せも何もなかった、好き勝手に山頭火のことを話したと思う、さぞ迷惑なことだったろう。

”旅につかれた男が一人、落ち着いて死ねそうな街・松山へやってきて、一代句集「草木塔」を完成させて、好きなお酒を飲んでコロリ往生……。

山頭火が人生の終着駅・一草庵で最後に残したものは、生と死を見つめてつくった
つぶやき、問いかけ、共感を呼ぶ句集「草木塔」と、一緒に旅をした「鉄鉢」だった。

    うしろすがたのしぐれてゆくか

    と詠った男は、今も

   もりもりもりあがる雲へ歩む

        文学の薫る街は、山頭火にとっては

    おちついて死ねさうな草萌ゆる

     街であった。


その句集「草木塔」の最後の言葉、
 「所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守ろう。」
        (昭和十五年二月、御幸山麓一草庵にて 山頭火) を紹介したら、

平野さんが、「わかります。」と一言いってくれた。
なんとなく嬉しかった。

 番組紹介に、山頭火の名前も載っているので、少しは放送してくれることだろう。
山頭火ファンの皆さん、機会があればお聴きください。


作家・平野啓一郎さんとプロデューサー・松任谷玉子さん

 平野さん、爽やかで、ちょっとふっくらしていて落ち着いた感じ、親しみが持てました。
 松任谷さん、エフエム東京のプロデューサー。ユーミンの御主人・松任谷正隆さんは伯父さん。素敵な絵を描かれている松任谷國子さんは、ご親戚。玉子さん、素敵な人でした。


今、斑入り紫陽花に誘われる一草庵です。


2014年6月12日木曜日

第9回俳句一草庵・入選句の選評です。

斑入りの紫陽花が咲き始めました
「第9回俳句一草庵入選句」を愛媛新聞が紹介してくれた。
入選句の選評を紹介していませんでしたので、報告します。
<俳句一草庵開催日:平成26年4月29日>

俳句一草庵大賞

おぼろ夜のおぼろおぼろのひとり酒  松山市 今岡美喜子

(評)十七音のうち「おぼろ」が三度も繰り返されて九音を占める。
言わずもがなだが「おぼろ」とは「はっきりしないさま」「ぼんやりかすむさま」。そんな夜の過ごし方に「ひとり酒」とくれば、ますます「おぼろ」は極まって「おぼろおぼろ」になるというものだ。住み辛さが募るこの頃、ストレスが昂じてくるから、こんな朧な夜も必要。(熊野)

  
一浴一杯賞 

大杉に耳つけ春の流れている    松山市 伊賀上宜子

 (評)樹木に耳をつけると樹液の流れる音が聞こえたのだろうか。幹に耳をつけると、確かに大杉の生命力を感    じたのだ。それを「春の流れ」と表現したところが秀逸。(小西)


柿しぐれ賞

 城閣の空へ切り立つつばくらめ    
                                  松山東高校 五百木仁志

(評)城の上に広がる大空を、つばめがスイスイと飛んでいる様を「空へ切り立つ」と表現している。つばめは、
上下、左右、斜め、どの方向へも、まるで空間を切るような速さで飛ぶ、若々しく、鋭く、勢いの切れ味のよい
一句となった。(本郷)
 
松山市文化協会会長

つばくらめ待ちて八十路の指定席                                                           松山市 東矢敏子

(評)高齢化社会の現代。私の母も今年一月に八十九歳となったが、健康面などいろいろと問題が多い。が、
掲句の作者は「つばくらめ」が来る時節を忘れることなく、「待」っているのだ。皆に平等にやってくる老い。
こんな「八十路の指定席」であればいいなあと、ふと思った。(白石)

小西昭夫・特選

クジラの背中は退屈すぎないか                                                           伯方高校 福岡日向子

 (評)クジラは冬の季語だが、この句はむしろ無季の句と読む方が相応しいだろう。
大人たちにはクジラの背中は退屈どころか危険な場所かもしれないが、未知の世界に挑む若者には退屈な世界かもしれない。これが青春のエネルギーだろうか。

   入選

太陽と風と話して黄水仙             東温市 高須賀明子

 (評)水仙が冬に咲くのに対して、黄水仙は春になって咲く。春の訪れを告げる花だと言ってもよい。
太陽や風がやさしくなったことを確認して黄水仙は咲くのである。

白石司子・特選

城閣の空へ切り立つつばくらめ    松山東高校 五百木仁志

(評)空へ切ったように鋭く聳え立つ「城閣」と、その空中を鮮やかに翻る「つばくらめ」との二物衝撃句。
大景を切り取った叙景句ともとれるが、「つばくらめ」に自己投影した心境象徴句という考え方も可能である。

  入選

葉桜や空は天守を失はず       松山東高校 下岡和也

(評)美しい桜から「葉桜」へと時節は移り変わっても、「空は天守を失」うことなく、まるで全てを見守るかの
ように存在している。「天守は空を」ではなく、「空は天守を」としたことが手柄で、単なる写生句で終わって
いない。

本郷和子・特選

 満開の微熱を抱いて花巡る      松山市 片岡寿子

(評)桜が満開なのだ。散る前の咲き満ちた桜の全貌は確かに微熱を孕み膨らんでいるように見える。
桜の花を次々と巡りながら、今年も又、桜を見ることができた幸せを実感しているのである。

 入選

故郷を捨て故郷の雪が降る      新潟市 佐藤 憲

(評)物語性のある句である。故郷を出て、もう永い歳月になるのだろう、作者は、雪の降る度、その雪を見て、又、手に受け「ああ、故郷と同じ雪だ」と、遠き日に思いをはせているのだ、なぜか、この句には、せつなさと悲しみと、そして、深い深い作者の思いが伝わってくる。

熊野伸二・特選

  桑の実をふふめばほのと母恋し   岐阜市 若山千恵子

(評)桑は初夏に実をつける。黒紫色に熟れると甘酸っぱく美味しい。
作者は、その桑の実を「ふふむ」=口に入れる=時、幼いころ一緒に桑の実を摘んだのでもあろう今は亡き母を、仄(ほの)かに恋しく想う。童謡「赤蜻蛉」に「山の畑の桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか」とある。
我が国の生糸産業の衰退で、全国各地の桑畑もめっきり減った。
果実酒やジャムに利用された桑の実だが、それもこれも思い出の中に生きている。

 入選

 遠くより流浪の足音柿芽吹く      川越市 小宮山勇

(評)山頭火の終の棲家「一草庵」前には、山頭火健在の頃からの柿の木がある。
その芽吹きのころ庵を訪れた作者には、いまも遥か彼方を流浪している山頭火の足音が聞こえたのであろう。そういえば、庵の郵便受けに「外出中」の文字が見えた。彼はいまも、墨染の衣を翻して、歩き続けているの
かもしれない。

一草庵若葉賞

 クジラの背中は退屈すぎないか   伯方高校 福岡日向子
   
 (評)意表をつく表現である。なるほど鯨の背中の面積は、哺乳類の中でも、これほど広いものはいない。
大きく広いものを、もてあましているわけではないだろうが、鯨にとって、それは意味がある形なのだ。
しかし、作者が思うに、あの、なだらかな曲線の広さは、意味無く退屈そのものであろう。
と鯨に問いかけている。その発想の愉快さに拍手。(本郷)

桜咲く関東平野に雨が降る       飛騨神岡高校 広瀬葉月

 (評)「暗黒や関東平野に火事一つ 金子兜太」という有名な句があるので、
 「関東平野」はなかなか使いにくい言葉だが、果敢に挑戦した。桜が満開の関東平野も美しいが、
  「花の雨」の風情も捨てがたい。(小西)

春泥をもがき転びつサッカー部     飛騨神岡高校 洞垣樹生 

 (評)中七・下五は、「サッカー」などの運動部ではよくある光景かもしれないが、「春の土」などではなく、
「春泥」としたところがうまい。その取り合わせにより、どろどろのぬかるみにはまり、何かに「もがき」、
そして「転びつ」苦悶しているひとつの青春像もうかがえる。(白石)

銭亀や母と自立を約束す        済美平成中等教育高校 渡辺ひかり

(評)「銭亀」はクサガメ、ニホンイシガメの幼体のこと。甲羅が江戸時代の銭に似て円いのでその名で呼ばれ、夜店などで売られている。作者も愛玩しているのだろうか。
「銭亀」が夏の季語だと知っていたのに感服。のそのそ歩く子亀を見ながら、自分も自分の足で歩きだそうーと母親に伝えたのだ。「自立」「約束」の語感に固い決意を感じる。(熊野)


一草庵児童賞

二重とびはじめてとんだももの花    松山市 今岡孝太郎

(評)「ももの花」の季語が成功している。子供だから季語の意味はわからないけれども、二重飛びがはじめて
飛べた喜びが、ももの花に表現されている。今年は、桃の花が特にきれいだった、その姿が子供の目に映った
のだろう。