今週の山頭火句

今週の山頭火句 大銀杏散りつくしたる大空  山頭火

2013年6月18日火曜日

第8回俳句一草庵賞・入選句の選評です。

第8回の俳句一草庵の受章句の選評が紹介されていませんでしたので、報告します。
<俳句一草庵開催日:平成24年4月28日>
今回は、選者として宇和島は吉田より「加里場」主宰の井上論天さんが駆けつけてくれました。
※ 一草庵会場賞は、会場に参加した人たちによる賞です。





俳句一草庵大賞

蛇いちご小さき秘密の育ちつつ   岐阜市 若山千恵子

(評)草冠に母と書く「いちご(苺)」の語感は優しいが、「蛇」が付いた途端に怖い。 「毒苺」の別名もある。田圃の畦や藪陰で、初夏に黄色い花を咲かせ、赤い実を付ける。毒は無いが甘くないので人は食べないが、食べる小動物がいて、それを蛇が狙うから、その名がついたともいう。なにかしら謎めいた存在感。それは自らの中に、秘密の萌芽が兆すのを自覚した作者の心象と重なる。(熊野)

松山市文化協会会長

あの頃は天まで飛べたふらここよ  松山市 北村まさこ

(評)「あの頃」は「若いころ」と言い換えてもいい時代の事だ。怖いもの知らずで、ブランコを思いきり漕いで、天まで届くほどの高みへ揺する事が気軽にできた。しかし、いま、もうそんな冒険は出来ない。若き日々を懐かしみ、あるかなきかの揺れに身を任せるのがいい。黒沢明の映画「生きる」で、市民の願いに応えた老官吏がブランコに腰かけて揺れた姿が思い浮かぶ。(熊野)

一浴一杯賞 (水口酒造)

山笑う今日はなにして遊ぼうか   松山市 中本静枝

(評)「春山淡冶にして笑うが如く」(臥遊録)から「山笑う」が春の季語となった。全山の木々が芽吹き、賑わうさまは、まこと山が笑っているように見える。そんな穏やかな春の一日「さて今日は何をしようか」を「なにして遊ぼうか」と詠む余裕。年輪を重ねたからこそ、素直に出てくる言葉だ。(熊野)

一草庵若葉大賞

春だから大きな挨拶してみたり   飛騨神岡高3年 小山千晴

(評)草木が芽吹き、日差しも吹く風もやさしくなる春。これまで硬くなっていた体や心も柔らかくなる。学生や社会人にとっては年度代わり。解放された体やからは声や仕草の大きな挨拶が生まれる。美しい春。(小西)

小西昭夫・特選

春だから大きな挨拶してみたり   飛騨神岡高3年 小山千晴

(評)草木が芽吹き、日差しも吹く風もやさしくなる春。これまで硬くなっていた体や心も柔らかくなる。学生や社会人にとっては年度代わり。解放された体やからは声や仕草の大きな挨拶が生まれる。美しい春。
入選

陽炎の中をつきぬけオートバイ    松山市 米山千秋

(評)オートバイが陽炎に突っ込んでいく。いかにも春の若々しさが感じられる。オートバイは陽炎をつきぬけて走り去っていった。若さのもつ可能性と危うさがうまく書きとめられている。

白石司子・特選

水たまり走って飛んで夏がくる   川越市福原中学2年 内田里知

(評)梅雨の後が夏だから、もしかしたら上五の「水たまり」はあたりまえかもしれないが、中七・下五への飛躍がすばらしい。長雨で出来た「水たまり」なんか平ちゃら。   障害物の前でイジイジしていないで、飛び箱みたいに走って来て飛び越えてしまえば、いよいよキラキラ光る君の好きな夏の到来である。「走って飛んで」が、何とも元気・元気!
入選

惜春の靴跡残る芝生かな        松山東2年 大元寿馬

(評)芝生に残る靴跡、それは実景、いや、虚構だろうか。ともかくも作者は芝生に残っているもの、また、残したものに、立ち去って行こうとしている春、青春などへの思いを深くしたのである。「惜春」と言えば、甘ったるい句になりがちであるが、「靴跡残る」また、切れ字「かな」が、一句を句柄の大きなものにさせていると思う。

本郷和子・特選

あの頃は天まで飛べたふらここよ  松山市 北村まさこ

(評)ふらこことはブランコのこと。思い切って漕げば、まるで天へ届くと思うほど高く
なる。「あの頃」は、おそらく子供の頃あるいは青年期の頃かも知れない。今はもうそれもかなわないのである。懐かしいあの頃のことを、作者はブランコを見るたび、天まで飛べた昔の自分を回想しているのだろう。「天まで飛べた」と言い切った表現が素晴らしい。
入選

山寺のソーラパネル養花天     広島県福山市 佐藤道子

(評)町の寺ではなく山寺である。そこに最近、全国的に普及しているソーラーパネルが取りつけてあるのだ。緑の樹々と桜に囲まれた山寺の屋根のソーラパネルが目に入ってきたのだろう。時は花曇りの日。山寺とソーラパネルの新・旧のとり会わせが意表を突く新鮮さである。

井上論天・特選

山笑う今日はなにして遊ぼうか   松山市 中本静枝 

(評)木の芽や木の花に包まれる春の山を、朗らかに笑う人の姿になぞらえて「山笑う」という。=角川大歳時記(春)。その山裾で丁寧に生きておられる作者。今日一日を無駄なく使い切ろうとする作者の真摯な生き様が窺える。そう山頭火のようである。
入選

一生は束の間さくらさくらかな   岐阜市 若山千恵子

(評)「花の命は短くて…」と嘆いたのは林芙美子であったが、作者ならずとも人間誰もが抱く負の定めであろう。其れにつけても〈さくらさくら〉のリフレーンによる余韻が、殊更に無常の世界へと誘ってくれるかのようである。

熊野伸二・特選

蛇いちご小さき秘密の育ちつつ   岐阜市 若山千恵子

(評)身内に兆した小さな秘め事を、怪しい雰囲気を醸す蛇いちごに託している。秘密は誰に対して秘すべき事かが問題。場合によっては、自らも認めたくない感情がふと湧き上がり、その成長を拒絶したいような、育てたいような複雑な心境になることもあるけれど。
入選

東風吹けば笛の音おこる飛騨の町   飛騨神岡高1年 米澤妙希

(評)飛騨は雪深いところ。春の訪れが待ち遠しい。その春は、東風が吹いて知らされる。作者は、待望久しかった春を喜ぶ祭りの笛が、町に響くのを聞き逃さなかった。愛するわが町の春を、しみじみ喜ぶ気持ちが良く表現された。

一草庵若葉賞

ただいまと網戸の向こう側に言う 済美岡平成高1年 福本優衣

(評)〈網戸の向こう〉であるから長患いの、そう母上かと思いたい。作者は帰宅してからも家事や弟たちの世話に奔走されているのであろう。遠くなってしまった私の昭和が鮮やかに甦り,独り大粒の涙をながしている。(井上)

春風に吹かれてそよぐ体操服    松山東1年 渡部博美

(評)屋外のスポーツ時間。春の風に吹かれて、体操服がそよぐさわやかさ。青春ドラマのような景色が目に浮かぶ。それとも、汗と土にまみれた体操服が洗濯されて干された状況か、いずれにしても爽やかな景である。

小さい雑草 大きなおしゃべり   川越市福原中学2年 田所未都

(評)無季の句だが、小と大の対比が面白い。対句表現された雑草とおしゃべり。大きなおしゃべりをしているのは人間だろうが小さい雑草が花を咲かせた様を「大きなおしゃべり」と詠んだともとれて楽しい。(小西)

一草庵会場賞

独り居の軒に戻り来初つばめ    松山市 石丸クメコ

(評)「独り居」は、その時一人でいたのではなくて、独居の暮らしと見るべきだろう。連れ合いはすでになく、頻繁に訪れる人もない静かな暮らしの家に、今年もツバメが帰ってきた。去年、ここに巣をかけ、子育てして秋に飛び去ったツバメが、春と共に律儀に帰ってきたのだ。独居の孤独を慰めて余りあるツバメへの感謝の念がにじんだ句。(熊野)

子ら去りて温もり残す春障子    松山市 今岡美喜子

(評)春休みやゴールデンウイークなどの連休には、子や孫が帰郷して、ひと時賑わう。久しぶりの楽しい家族団らんも、子や孫が嫁ぎ先や勤務地へ帰っていくと、元の静けさが戻って来る。春の日に透ける障子に、家族そろった時の温かい雰囲気がわずかに残っているようだ。(熊野)

蕗のとう一二単衣のお姫様     飛騨神岡高2年 森田有紀

(評)蕗の薹は、土から顔を出すとき、薄い緑や黄色の皮で幾重にも包まれている。地表に出ると、やがて襟を広げるように皮を開いてゆく。あたかも、古の女性の正装・十二単衣を身にまとうお姫様のよう。はるの使者・蕗の薹への温かい賛辞である。(熊野)
新聞掲載:第8回俳句一草庵・入選句