今週の山頭火句

今週の山頭火句 大銀杏散りつくしたる大空  山頭火

2012年6月30日土曜日

一草庵だより

一草庵だより第26号です。
平成21年度から出発した一草庵の案内業務も丸3年を数えるに至りました。その間、山頭火を偲んで訪れる多くの来訪者の方々に出会いました。一期一会、ほんとうにありがたい出会いの一こま一こまでした。今回の一草庵だよりはそうした多くの出会いのときをテーマに綴られています。ご覧ください。

《内容》
第1ページ
・「NPO法人まつやま山頭火倶楽部」「一草庵」の案内業務が4年目へ
・過ぎし日は自然の循環
・山頭火に、蛍につながれてほろほろ句会
・今月の山頭火句
第2ページ
・山頭火の清濁とセラピー
・地域と歩むNPO法人山頭火倶楽部の3周年(3ページに続く)
・案内人3周年に寄せて(3ページに続く)
第3ページ
・一草庵のトイレを一番きれいに
第4ページ
・山行水行
・フォトほっと
・第6回俳句一草庵賞 村上護特別賞

2012年6月24日日曜日

名言巡礼「濁れる水の流れつつ澄む」                   ―諦観も未練も突き抜けて

今日、6月24日の読売新聞日曜版「名言巡礼」に、松山の一草庵で山頭火が詠んだ句
「濁れる水の流れつつ澄む」が、諦観も未練も突きぬけた名言として紹介されている。


読売新聞・日曜版「名言巡礼」の一部
「清と濁、混然一体だった半生を川の流れに重ね、諦観も未練も思いながら、でも突き抜けている」と全国津々浦々の酒場を巡る俳人の吉田類さんは見る、と説明あり。

 ころり往生を念願した山頭火、松山市の道後温泉に近い高台に「一草庵」を結ぶ。
死を見つめる静かな余生であるはずが、方々へ金を無心し、酔いつぶれては昏倒し、支援者宅で
寝小便をする…。相変わらずどうしようもない。
 そのどうしようもなさに懊悩(おうのう)し続けた最後の最後、庵のそばを流れる川に清澄を思った軽みが、たまらなく尊い、と宇佐美伸さんは綴ってくれた。
 (永平寺の道元禅師も山頭火<=一応、曹洞宗の僧侶なり>をそのように諦観してくれたのではないだろうかと、ふと考えさせてくれる達意の文章ですね。)

 新聞の写真は、一草庵での現代版「山頭火句会」の様子をカメラマン・田中秀敏さんが撮ってくれている。フォト俳句のようでもある。小さな豆電球の灯りも、暗闇の上に広がる青い空にもすこぶる澄んだ明るさを感じてしまう。

  出だしの文章は、ミュシュランガイドで三つ星をとっている東京・銀座の「鮨 すきやばし次郎」さんのお話だった。…「おやじの握りは大ぶりで重いけど、軽い」 7歳で親と生き別れて奉公に出て以来、辛酸を重ね世界最高齢の三つ星職人の辿り着いた末の軽やかさ。
  それは放浪の俳人、種田山頭火が最晩年に詠んだ句の印象そのものだ

 いろいろなことが頭に浮かんできた。
山頭火が尊敬する俳人芭蕉も「不易流行」を唱え、その心を重みの中にある「軽み」に求めた。
高きを悟って俗に還るべしと。
 また、ダダイズム詩人・高橋新吉の文章を思い出す。
芭蕉よりも山頭火の句がよいとテレビでしゃべっていたので、山頭火展にいったが失望したと。
同じような句を沢山書いている中に、よい書が一つくらいはある。その中でも「淡如水」の字はなかなかよかったと書かれていたように記憶する。

一草庵の句碑
濁れる水の流れつつ澄む
「流れる水」を象徴して、山頭火は何を表現したのであろうか。その解釈は人それぞれだろう。
 破壊型人間の山頭火は、裸で世の中を歩き、反社会的な愚行も多かったが、反省し懺悔する心は深かった。そして水は私を清浄にするといって、「淡如水」の書をしたためている。



山頭火の書「淡如水」

  <追記>2012.6.26
  読売新聞愛媛版では、日曜版の第2面が省略されています。
  東京版が届きました。
  斎藤ヨーコさんの素敵なイラストマップ「種田山頭火と松山」が掲載されていましたので、紹介します。




また、読売オンラインの名言巡礼「濁れる水の流れつつ澄む」紹介の動画がありました(約3分)。
 田中秀敏さんが撮影したものです。山頭火の愛した松山、一草庵のこと、蛍句会の様子もほほえましく紹介してくれています。最初の画面、石手寺のお線香の煙に思わず吸い込まれてしまいました。ご覧ください。 

      http://www.yomiuri.co.jp/stream/sp/meigen/meigen13.htm                                                                                            

2012年6月10日日曜日

一草庵俳句日記<螢を観賞、そして句会>

松山市のご配慮で、一草庵の夜間公開日が誕生しました。
   6月2日(土)
  12月2日(土)
  2月17日(土)です。
この日6月2日に、「山頭火 ほろほろ句会 螢の巻」を開催しました。
その報告と感想です。

ほう ほう ほたる こい
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
ほう ほう ほたる こい

螢は、平安時代から飛んでるそうですね。
「枕草子」にも登場します。
夏は、夜がよい。満月の時期はなおさらだ。闇夜もなおよい。蛍が多く飛びかっているのがよい。一方、ただひとつふたつなどと、かすかに光ながら蛍が飛んでいくのも面白い。…

だけれども、私には映画「螢川」(宮本輝の芥川賞作品の映画化)のラスト・シーンが忘れられません。昭和30年代の富山が舞台。天空へ舞い上がる螢、画面を埋め尽くす数百万の螢が乱舞するファンタジーの世界が…。

一草庵前の大川にもホタルが飛ぶようになったのですが、人間の作った灯り=車のライトで蛍も夢も逃げてしまいそうなので、長建寺の螢を皆で見に行くことにしました。
そこは、街中で身近に蛍の見える穴場でした。
 お墓の片隅で、声も出さず見を焦がして、恋する蛍を見ることができました。
一草庵に帰って句会が始まりました。
(一草庵には、ホタル愛好会のIさんが、30匹以上のホタルを籠に入れて持って来てくれていました。)
ぞろぞろと句会参加者、一草庵へ
参加メンバーは、大学俳句部の人、突如参加の若いカップル、新聞記者ご夫妻、女子アナも俳句を作りに来てくれました、最年長者は83歳の山頭火好きの長老、あわせて20名。
句会は、「松山はいく」のメンバーが進行してくれるのです。
初めて俳句を作る人、俳句歴30年のベテランもいて、どうなるだろうと心配する人もいたけれど、
自由で楽しい、愉快な充実した句会となりました。その模様を写真で。

句作風景、2~3句投句

いつの間にか和やかな雰囲気に!

テレビ局も取材に!

 投句数は42句。各自は特選2句を含む5句を選句します。
 実景を、ホタルによって詠まされたのでしょうか、
 実感のこもった句が発表されました。
 目でみて、肌にふれて、耳でききとめ、匂いも感じて。
 目の不自由なヘレンケラーのような、それを感じさせない俳句の上手な人の参加もありましたよ。
  追記、やっと連絡がとれましたので、当日一番人気のあった俳句を紹介しておきます。
      盲目の俳人と言えば叱られるでしょうが、目の不自由な方が詠まれた句です。

      蛍とぶ会場風景が見事に詠まれています。
       流螢のみだれて散るや傾(かし)ぐ墓碑   みどりの手

     もうひとつの句も素晴らしい句でした。
       五年目の人と歩くや川螢           みどりの手

 一部ですが、紹介してみます。
    掌に捕りて放ち惜しみぬ初螢    熊五郎
   はぐれたら我が庵に来よ恋螢    熊五郎
   迷うならこここいほたる我にこい   松五郎
   山頭火螢をつなぐ人の縁       己
   休日のデート帰りの螢飛ぶ      しずか
   螢待つ女にやさしさもどるとき    美世
   待ちわびた僕と螢の初対面      わかみどり
   上向いて螢の細く散りにけり     游士
   風抜けてふうっとホタル深呼吸    かえる
   ほうたる掌にいただくその光     迷月
   光の糸に結ばれてほうたるも人も  迷月

       「 山頭火螢をつなぐ人の縁」、新人の句でしたが、俳歴30年のベテランが選んでくれました。 
   もっといい句ありますが、省略しています。

  今回が、2回目の句会参加となりました。
  山頭火の俳句しかよく知りませんので、本当のことはよくわかりません。
  山頭火は、「俳句は象徴詩だ」といっていますので、
  象徴としての「螢」って、何んだろうと考えたりしました。
  儚いもの、貴重な存在、懐かしき郷愁の匂い、小さな夢物語、別世界etc。
  
荻原井泉水は、「俳句は自然・自己・自由の三位一体の境地なり」。
俳句で言う季語にとらわれず「自然」を対象として詠い、
客観写生でなく「自己」の表現を。
五・七・五にとらわれず、「自由」なリズムを大事に、と言っているので、

現実に目の前に飛ぶ、リアリティーある自然の中の夜の螢を詠んで、その中に自己を表現したいと思ったりはしたのですが、なかなか難しいです。

「俳句は滑稽なり、俳句は挨拶なり、俳句は即興なり」と言われていますが、滑稽句でない、挨拶句でない、即興句でない、俳句に命をかけた山頭火のような深い句を作りたいと思ったりする今日この頃です。

山頭火案内人が、ロウソクの灯りでお迎えしました。
夜のどばりに灯りがともる一草庵、庭にはローソクの火が流れ漂い、本当に素敵な句会会場、俳句パワーが生まれます。山頭火につながれて、蛍につながれて、集った19歳から83歳の俳句仲間の胸にも、ほろほろと夢の灯りがともりました。

2012年6月7日木曜日

村上護先生とその俳句仲間たち

宇和島吉田で井上論天さんが中心となって開催されている「みかんの里全国俳句大会」の帰り(5月14日)に、
NPOの顧問をしてくれている村上護先生と愉快な俳句仲間たちが、一草庵を訪問してくれました。
上田五千石に師事され、現在・俳句月刊誌「月の匣」を主宰している水内慶太先生、深川正一郎に師事され、現在・「くるみ」を主宰する俳壇の大御所・保坂リエ先生もご一緒です。
 保坂先生は、俳句大会で「百の理論より一つの実作」を講演されたそうです。
ほつと月がある東京に来てゐる」の山頭火句碑がある谷中・本行寺の加茂住職も松山に来ています。
来年は、松山で「一茶・山頭火全国俳句大会」を開催しようと、意気投合です。
 皆さん、ちょっとあか抜けした粋な人たちばかりでした。




 遅くなりましたが
 「第6回俳句一草庵」の村上護特別賞の紹介をさせていただきます。

 一般の部・特選
 旅立つまへのひとときを並んで座る  松山 朗善(ローゼン千津)

 (評)山頭火には「うしろすがたのしぐれてゆくか」の名句がありますが、
  見送る後ろ姿でなく別れる前の互いの心と心の温かい交わりに共感を覚えます。

 一般の部・入選
 歩いても歩いても春風ついてくる   松山 西野周次 

 (評)山頭火の俳句の常套的なフレーズですが、ファンならではの一句でうれしいですね。

 帯締める生きる力を物の芽に     松山 橋本伎代子

 (評)人生の生き方と自然の力が明るい方へと向い、好感のもてる一句です。

 高校の部・特選               
 陽炎の沖へタンカー後ずさる     松山東高3年 東影喜子

 (評)重くれたタンカーと、はかない感じの陽炎との取り合わせに優れたものがあります。
  特に下五の「後ずさる」は的確な表現です。

 高校の部・入選
 この胸の君を消すのは桜吹雪   飛騨神岡高3年 下崎琴音

 (評)若さが漲っており清新、心のわだかまりも桜吹雪ですっきり。

 始業式前のクラスのドア開ける  弘前学院聖愛高3年 貴田茉莉亜

 (評)クラス換えでクラス・メートとも新しくなります。胸がどきどきするのを、
  うまく表現しているよい句です。

 春の暮行きより重い背中の荷    松山東高1年 河野泰造

 (評)人生の一つの発見ですね。それを短詩型で表現すると、一層明瞭になります。

2012年6月3日日曜日

一草庵だより 第25号

一草庵だより第25号をお届けします。
今月は先に開かれた「第6回俳句一草庵」の受賞作品を掲載しています。高校生たちの新鮮で鋭い作品も今回の見ものです。どうかゆっくりお読みください。

《内容》
第1ページ
・ 「第7回山頭火俳句ポスト賞」の表彰と「第6回俳句一草庵」開かれる(第2ページに続く)
・ 今月の山頭火句
  ほととぎすあすはあの山こえて行かう
第2ページ
・ 俳句の門をたたく
第3ページ
・ 山頭火の広場
 山頭火との出会い
 絆 村瀬千枝子先生
 73年前の事
第4ページ
・ 山行水行
 分け入って、新しい琵琶に挑戦したミス・ツルタ
・フォトほっと
・ 編集後記

  

一草庵から石手寺地蔵院への道

  初夏のある日、かつて山頭火も辿ったであろう一草庵から石手寺地蔵院への道を、歩きました。行程およそ3キロメートル。
  大川沿いにある桜の古木に何かが見えました。近寄ってみるとヤゴから脱皮したばかりのトンボが、羽を乾かしています。生まれたばかりの透き通った羽に、周りの新緑が柔らかく反射していました。俳句を詠めない私は、いつも思います。山頭火ならどう詠むのだろうと。

  遍路道を東へ歩くことおよそ10分ほどで、俳句の道の山頭火句碑があります。(この句碑については以前紹介しました。その記事はここをクリックしてご覧ください)そこから熱田津の道を東へ行くと、道後温泉商店街です。山頭火は道後の湯もとても気に入っていました。

  朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし

 
  道後には山頭火や子規も訪れた宝厳寺常信寺などや、山頭火の句碑など見どころはたくさんありますが、今日はひたすら石手寺に向かいます。道後の賑わいを過ぎ子規記念博物館前をさらに東へいくと、左上に山頭火も句会に来たことのある義安寺が見えてきます。ここはその昔河野氏滅亡の折多くの家臣が自刃して果てたという古刹です。道後湯築城主河野氏とその家臣に思いを馳せながら義安寺に手を合わせ、先を急ぎます。道後から1キロメートルほど進んだところに、最近山頭火の句碑が建てられました。
   

分け入つても分け入つても青い山
 この句碑からほんのしばらく歩くともうそこは四国霊場五十一番札所石手寺の前です。参道には土産物などの店が少し並んでいます。店が途切れた右側に山頭火がよく訪れた地蔵院があります。
 山頭火は、昭和14年10月1日終の住処を求めて宇品港を出発、高浜港にやって来ました。
     ひよいと四国へ晴れきつてゐる
     秋晴れの島をばらまいておだやかな
 松山へ着いた山頭火は、大山澄太の紹介で高橋一洵を訪ねます。その足で長年の念願だった「層雲」の天才俳人野村朱鱗洞の墓所を求めてこの地蔵院を訪れたのです。しかし、ここには朱鱗洞の墓はありませんでした。しかし、これがきっかけで、山頭火はその後もときどきこの地蔵院を訪れています。
 写真にある門をくぐったすぐ左前に、現在は、山頭火の句碑と石造りの鉄鉢があります。

  うれしいこともかなしいことも草しげる 

 写真左下の石の鉄鉢には、次の句が彫られています。
    鉄鉢の中へも霰

 撮影の時刻が悪く、見えにくい写真になってしまいました。
 ここ石手寺は地蔵院を少し過ぎたところに国宝の二王門があり、そのほか三重塔などの7つの重要文化財があります。
 一草庵からわずか3キロメートルほどの道のりの中に、ぎっしりと歴史や文化の詰まったコースです。ぜひ一度歩いてみてはいかがですか。