今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2012年8月2日木曜日

This straight road, full of loneliness

第8回山頭火俳句ポスト大賞は、カナダの俳人の詠んだ英語HAIKUが選ばれた。
  As the sun set
  the earth's shadow

  took that mountain    tim sampson
   (訳 夕焼ける地球の影があの山に) 

夕焼ける空の向こう、人の住むあの山に影が落ちる、the earth's shadowが…。
生きている証しとして影は存在するのだが、その“地球の影”の中に、どうしてか被災地・東北の姿が見えたり隠れたりする。

一草庵に設置された“山頭火俳句ポスト”に、初めて英語HAIKUが4句投句されていた。
山頭火ファンも国際的で、一草庵というプラット・フォームも、ちょっぴりグローバル化した感あり。
そのほかに、山頭火を詠んだこんなユニークな句の投句もあった。
  his mother's face
 swims in his sake glass
 ‐Santoka          Beverley George
   (訳 盃に亡母浮べいる山頭火)

                       <訳は、乃万美奈子さんにお願いしました。>

 嵐山光三郎さんのこんな文章がある。
 アメリカで親しまれている俳人は、芭蕉のつぎは山頭火で

 まつすぐな道でさびしい

の句がよく知られている。ニューヨークのコロンビア大学で句会をしたとき、アメリカ人がやたらと「フル・オブ・ロンリネス」(さびしさでいっぱい)というフレーズを使いたがるので不審に思った。これは、山頭火の句が

「This straight road, full of loneliness」

と訳されて、広く暗唱されているのだった。それで私も暗唱してしまった。

 英語ハイクの本が読んでみたくなった、本棚につぎの本あり。
八木亀太郎先生論文「米俳句の歴史、現状及び問題点」(1973年)
佐藤和夫著「俳句からHAIKUへ」(1987年)
星野慎一著「俳句の国際性」(1995年)

 八木先生の「HAIKUという名の短詩」という1976年9月の愛媛新聞の記事も出てきた。
日本は国際文化に関するかぎり、そのあらゆる史的段階において、受動的であった。
奈良朝時代より今日まで、入超の一途をだどり、精神文化の国際収支は世界最大の赤字国である。…… 唯一の例外は「俳句」である、と。

 日本の俳句をアメリカに紹介した忘れてはならない外国人として、R・H・ブライスハロルド・G・ヘンダーソンがいるそうだ。

日本に永住したイギリス人ブライス(1898-1964)には、英文の“Haiku”四巻(1949)がある。東京大学から俳句研究で文学博士号を受けた人。
その序文に、
「筆をおくににあたって私は証言しなければならない。バッハの音楽や中国の絵画と共に、
生涯のもっとも偉大な、もっとも純粋な、もっとも喜びを与えてくれたのは俳句であった」

鈴木大拙の弟子として「禅」を学ぶ。
「俳句は一見簡素に見える。その内容の深さとその根源とを凝視するならば、そこには思いもよらぬ世界が存在する。… 俳句は禅の境地から理解されねばならない。」
「俳句は詩ではない。文学でもない。それは、うなずき招く手、半ばひらいたドア、きれいに拭き清められた鏡。俳句は自然に帰る道である。」とも言っている。
 学習院大学の教授の身分で亡くなる、その時の学長は、愛媛出身の安部能成だった。

 アメリカで俳句熱が盛んになったのは、1960年ころからだそうだ。アメリカ俳句の父ヘンダーソンの名著『俳句入門』(An Introdakuction to Haiku)―副題「芭蕉から子規にいたる俳句と俳人のアンソロジー、約200ページ本は、飛ぶように売れてアメリカ俳句熱の原動力となったそうだ。
反響が大きく、引続き1967年『英語の俳句』“Haiku in English”という一書74ページも出版している。そして1968年アメリカ俳句協会The Haiku Society of Americaを創設するのだった。

(※ヘンダーソンは、ウォーナーWarner博士と協力して、奈良・京都の爆撃をせぬようにとルーズベルトに進言した人。)

カナダのことについて触れます。ヘンダーソンの影響をうけたカナダの著名な俳句詩人がいました。その人は、医者のエーリク・アマン(Eric Amann)。「俳句における禅」を研究。

こんな俳句を作っています、いががでしょう。

 Summer loneliness;
 through the endless afternoon
 cicada voices
   (訳 夏の孤独 はてしない午後の長さ 蝉の声)

 Gout patients
 sit in the waiting room
 autumn rain……
   (訳 待合室に坐る 通風患者たち 秋の雨…)

 八木先生は次のように説明している。

言葉や文の構成が素直で、いかにも自然に聞こえる。老人になると、リューマチとか痛風とか、そういった痛みを覚える病気になりがちである。医者の待合室に来て、同患の病人たちが、そこはかとなくぼやいている声や、また話しの内容までもおのずと伝わってくるようだ。こうした病気がでるのは、秋口から寒くなりぎわだから、これでおおよそ季節もわかるが、さらに最後の「秋の雨」でしめくくられている。とりわけこの句を強めているのは、二行目の第一語「sit」(坐す)である。とにかくsittingとしたがるのだが、-ingは英語の俳句では禁物である。

乃万美奈子さんが、山頭火俳句ポスト賞を受賞するカナダのtim sampsonさんに、快く連絡を取ってくれた。
彼の紹介をさせていただきます。

カナダのカルがリーに住む51歳の禅僧。東京で15年前司祭に任命され、サンフランシスコの禅センターに長い間住んでいた。
仕事はカルがリーの禅practitioners の小さな禅の共同体の僧。
お遍路さんとして、四国八十八カ所を巡り、一草庵へ立ち寄った。

そして、彼のメッセージが届きました。
私はカルガリーのMagpie Haiku Poets 俳句グループのメンバーです。 
松山から帰り、俳句にいろいろな面からとても興味を持ち始めています
多分この賞が、新しい私をスタートさせることでしょう。
私は日本にいる間に沢山俳句を書きましたので、いい俳句を小さな本にしたいと思
います。私は歩くのが好きです。それで山頭火が好きなのかも知れません。
彼は困りものではありますが、心はきれいだと思います
今夜 私は禅community の会があるので行かなければなりません
私たちは坐禅をして walking meditation をして 一緒にHeart Sutra (お経)
を 唱えます。どうも有難うございます。

『俳句―松山からのメッセージ』の山頭火紹介の部分
、八木亀太郎先生は、東京時代に知り合ったヘンダーソンを通じて、昭和43年ころから米国の俳句雑誌に俳句や子規、松山などを紹介する俳句随想を寄稿していた。没後、その中から選ばれた25編の俳論(1968年~1980年)が、友人で作家のスラットラーさんの手でハワイ大学から、『俳句―松山からのメッセージ』として2001年に出版されている。