今週の山頭火句

今週の山頭火句 すわれば風がある秋の雑草  山頭火

2012年5月29日火曜日

子規記念博物館に立ち寄って

野暮用があって、子規記念博物館へ。
実は、ミュージアム・ショップにおかしていただいていた「まぼろしの琵琶・俳人山頭火」のDVDが売り切れてしまったとのことで、追加を持って行った。

 「子規博垂れ幕10年展」(3階の特別展示室)を覘いてみた。
天野祐吉名誉館長の言葉、
俳句には挨拶みたいな面があります。
そう、気さくな、でも奥の深い、季節の挨拶。
通りすがりの人に子規さんが気楽に挨拶の声をかけるような、
そんなふうにできたらいいなと思ったんですね。

そんなつもりで子規博の前に月替わりで子規さんの句を出し始めてから、
子規記念博物館
足掛け十年になります。

選句のポイントは、わかりやすくて、なるべく楽しいもの。
憂な顔で挨拶されても、ちょっと対応に困りますからね。それから、挨拶なんだから、声が聞こえるような感じにしたい。
そのため、文字は活字でなく、手書きにしました。経費節減のため、ぼくが書きましたので、へたですいません。
これは子規さんには、内緒にしてください。

素敵な、話しかけるような俳句の書でしたので、長くなりましたが、その言葉を引用させていただきました。
   5月の子規の句は、
      鯛鮓や一門三十五六人  子規

会場には、山藤章二、和田誠、矢吹申彦さんらの子規のイラストの絵が飾られていました。
私の大好きな安西水丸のイラストもありましたので、紹介しておきます。
(ちょっと一言、安西さん、村上春樹さんとは友達で、「ノルウェイの森」は水丸さんがモデルらしいですね。)

柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺
2階で、俳句に「絵」をつけるととても楽しくなりますという「俳句美術館」という展示会をやっていました。そこに、「山頭火の句」が紹介されていました。

 何もかも夢のような合歓の花さいて 山頭火

 「夢のようにはかないけれど、そんな夢の中にあるからこそ素晴らしい人生」というものの姿を
詠っていてくれることで共感が湧き立ってきます。」と藤岡抱玉さん、コメント。

この句は、昭和11年の7月19日の其中日記に載っています。
長い東北の旅、平泉、永平寺を終えて、瀬戸内海に浮かぶ広島県大崎上島の生野島の陶芸家・無坪さんを訪ねています。
この日の島の日記は、旅で作った俳句の整理をしているようです。

もう一つ山頭火の句の書がありました。

 誰か来さうな雪がちらほら  山頭火

この句は、昭和9年其中庵での作。山頭火は、この句を一代句集「草木塔」で自選しています。

「山頭火の句」を見つけたので、皆さまに紹介させていただきました。
 
書・藤岡抱玉
書・山沖春闌
(写真上手く撮れずに、ゴメンナサイ)

2012年5月24日木曜日

「山頭火、芸能ニュース」と題して


「劇団俳小」代表の斎藤さまより、「なにもいらないー山頭火と放哉」報告のお便りをいただきました。
一層精進して、全国公演への展望を目指していきたいとのことでした。

東京芸術劇場名誉館長・小田島雄志氏の”芝居よければすべてよし”の芝居新聞評も入っていました。
すでにブログで紹介済みですが、「一草庵だより 24号」での層雲の本山麓草氏の”劇団「俳小」公演を見て…”の稿も、切れ味は鋭く深い文章ですよ。是非ご覧ください。
 <一草庵だより24号のブログは、2012年5月3日。>

 本山さんの言葉を借りると、次のようです。
 山頭火のもとに素性を隠した女性新聞記者と幽霊としての放哉が現れる。
 山頭火は「放哉ほど孤独に耐えた強い男はいない」
 女性記者は「放哉は淋しがり屋じゃなかったのかしら」と解釈するのです。
 「うまれた家はあとかたもないほうたる」という山頭火の句で物質文明の無常観を表している。
 一部と二部を通じて、異なった時代に山頭火という基準を持ち出し、普遍性を求めている。
 山頭火本来の明るさが活かされ、笑いのある観やすい芝居だった。
 漂白の自由律俳句そのものにせまっていく山頭火の気迫をもう少し観たかった。
  

女性記者・和泉桂子(旺なつき)、放哉(勝山了介)、山頭火(斎藤真)
  劇団より、写真を送っていただきました。斎藤さんも言っているように、旺なつきさん演じる女性新聞記者の登場が、舞台に生命感を与えて親近感がもてるようです。素敵な魅力ある女性ですから。

6月1日から13日は、劇団民藝による「うしろすがたのしぐれてゆくか 山頭火」が公演されるそうです。山頭火役だった大滝秀治さんは、体調不良のため出演できないとのこと。
 劇団関係者の方が、一草庵へご挨拶に来てくれたそうです。

また、山頭火生誕130年を記念して、映画制作が始まるそうです。
山口県映画センターの山本末男さんがプロデュースします。
2001年に制作された田中美里主演の映画「みすず」(=金子みすず)を観ましたが、なかなか充実した作品でした。期待できそうです。

2012年5月23日水曜日

山頭火と「松山はいく」                        「ほろほろ句会」第2弾~蛍の巻~

 一草庵前の川で、ホタルが飛び始めました。
      その昔、大川に飛んでいたホタルが蘇えったのです。
  ほたるの会のIさんが、雨の日も、風の日も、毎日大川の清掃をしてくれたお陰です。
  郵政研修所のKさんは、ホタルが逃げないように、グランドの電灯を消してくれました。
  今日、愛媛新聞では、「蛍の巻~ほろほろ句会」の案内をしてくれました。
  6月2日、皆さんも、一草庵に来て山頭火を偲んで、一句ひねってみませんか。


山頭火「ほろほろ句会」の第2弾を開催することとなりました。
「松山はいく事務局」の企画です。
「松山はいく」とは、
俳句にゆかりの深い松山に「俳句」と「まち歩き」のハイクをかけて
名付けられた「まち歩き観光」メニューです。
  
 山頭火 「ほろほろ句会 ~蛍の巻~」です。
 <日時> 平成24年6月2日(土) 19:30~21:30
                    (この日は、一草庵の夜間公開日です。)
 <コース>
      ①一草庵集合。(19:30)
      ②山頭火が「どんこ川」と言っていた「大川」で蛍の探索。
      ③一草庵で句会開催(21:30終了)
 <料金> お一人様あたり 1000円(句会体験、茶菓子…)
 <申込方法> 電話089-945-6445
          松山はいく事務局 受付時間 10:00~17:00
          締め切り 5月31日

  松山道後に来られた方、「ほろほろ句会」いかがですか。
  初心者に俳句を指導してくれるそうです。
  都会の雑踏から離れた静寂の一草庵で、句会を楽しんでみませんか。
  松山在住の方も、是非ご参加を。


 暗さ匂えば蛍  これは山頭火の句です。ご存知ですか。
 手に取るとわかるのですが、嗅いでみると匂いがするんですよ。
 英語でホタルは、「ファイア フライ」、「炎のハエ」というそう
 ですが、日本語の蛍の言葉には、情緒がありますね。
 大川にいるのは、源氏ホタルです。赤い頭に、小さな6本の足。
 夜空の星のように、川の中で星のように光るホタルを見つけてみ
 ませんか。貴女の黒髪にホタルをのせて、一句ひねって下さい。
 



2012年5月13日日曜日

「第6回俳句一草庵受賞俳句」の紹介

第6回の俳句一草庵を、平成24年4月28日開催しました。
その受賞句を紹介します。
参加者約50人と俳句選者の先生と一緒になって俳句賞を選びました。
一草庵会場賞は、会場に参加した人たちによる賞です。


俳句一草庵大賞
麦青むいのち太鼓のやうに鳴る  済美平成高1年 白石沙織
(評)晩秋の「麦蒔」、冬から早春にかけての「麦踏」の過程を経て、いよいよ「麦青む」春の到来である。この作品では、晩春から初夏にかけて「青麦」から「麦秋」へと著しく成長する「麦」、即ち、「いのち」そのものを、「太鼓のやうに鳴る」とした把握が見事。
ドンドンと太鼓のように鳴り響く「いのち」、それは「麦青む」の「青」に象徴される青春性そのものであり、「太鼓のやうに鳴るいのち」の名詞止めではなく、「いのち太鼓のやうに鳴る」と動詞で止めたことにより、躍動感あふれる一句となっている。(白石)

松山市文化協会会長賞
春の星ペン先で結ぶ君と僕   伯方高2年 赤瀬泉希
(評)十代の少年と少女の淡い恋を連想させる。二人の間で、手紙を交換しているのだろうか。
青春期の素敵な一コマを表現し、「春の星」の取り合わせが初々しい内容の背景となって巧みである。(本郷)

一浴一杯賞
ピアス取り素に戻りたる春の宵   松山 片岡誠子
(評)ピアスは、装う女性の大切な小道具の一つ。正装で外出先から帰った彼女は、頭を傾けて右の耳から、次いで左の耳からピアスを外す。その時、緊張感からも完全に解放され、普段に自分に戻る。時は、価千金の春宵の一刻。「ありのまま」を表す「素手」が効いた。(熊野)



小西昭夫・特選
空の下青い私と青い木々   松山東1年 越智菜月

(評)もう「青い私」などと言えない年齢になると、こうストレートに
「青い私」と言われるとその若さがまぶしい。「青い私」と「青い木々」
という対句表現も端的で気持ちがいい。青い空の下の青い私と青い木々。
無季の句であることが余計に若さを引きたてている。

入選
自在という言葉がうしろからツバメ  東京 本山麓草
(評)ツバメを自在ととらえるのは当たり前と言えば当たり前なのだが、この句の面白さは「ツバメの自在」を「言葉」としてとらえたところ。
「自在」という言葉がうしろから飛んできたのだ。「ツバメ」で収める六九三のリズムも新鮮である。

白石司子・特選
梅雨曇り虫歯痛ムコト知ル多少   松山東1年 仙波大征
(評)なんとも鬱陶しい「梅雨曇り」。それに続く「虫歯痛ムコト知ル多少」は、孟浩然の五言絶句「春暁」の第四句「花落知多少」のもじりである。
つかのまの春の陶然たるひとときを描いた「春暁」に対し、長期に亘る「梅雨曇り」に似た、じくじくとした「虫歯」の痛みであるが、「虫歯痛ムコト知ル多少」の機械的な響きが、他人事のようで何となく滑稽味をさそう。もじりの句としては際どいかもしないけれども、季節の感覚をうまく捉えているという点において成功していると思う。
入選
スプーンの銀の中より蝿生まる    松山東2年 森田佳穂  
(評)「五月蠅」を「うるさい」と読ませるように、五月蠅いものの代表とされ、あちこちに病原菌を振りまく「蠅」。しかし、どんなに疎まれていても命は尊い筈であり、作者の人間的やさしさの表出が「スプーンの銀の中より蠅生まる」である。新生児の幸運のシンボルでもある「銀のスプーン」。
この蠅は、いや、生あるもの全ては、きっと幸運がつかめるはずである。

本郷和子・特選
何ごともなきこと恐ろし春の宵     松山 三好真由美 
(評)人間は、日常何ごともなければ安心。突然に何かあれば、不安・心配・恐怖などに襲われる。しかし本当に何ごともないという空間はその裏に何かある。何が起きるのではないかという嵐の前の静けさにも似た怖さが潜んでいるのかも知れない。春の宵の平穏さが不安感に繋がったのであろう。作者の心理判断の句である。
入選
鉛筆を尖らせてゐる木の芽どき      松山 松井光子
(評)木の芽吹く頃は、心が不安定になる人も多い。鉛筆をピンピンと尖らせているこの感覚は、人間の内面を突き、一種の鋭さがある。鉛筆を尖らせる動作には、山姥が包丁を研ぐようなあの場面と一瞬通ずるものがある。あるいは、芽吹いてくる自然と共に人間と共に人間を謳歌している明るい一句とも言えるだろう。

熊野伸二・特選
自転車でぐんぐん切り割く春の風   松山東1年 佐原咲希         
(評)若草の萌える土手の道を、向い風の中、勢いよく自転車で駆け抜けていく少年が見える。
「ぐんぐん」の表現は俳句的とはいえないが、ジュニアの作者の素直な言葉として、むしろ好感が
持てる。風を「切り割く」のも良い。
入選
さくら餅少女の白き膝頭        松山  米山千秋 
(評)さくら餅のえも言われぬ甘い香りと、少女の無垢な膝頭が不思議にマッチして、晩春のアンニュイを感じさせる。取り合わせの妙を採った。

朗善(特別選者)・特選
友達の関係さっと衣替え    洛南高校2年 黒宮みの里        
(評)学生時代の友達関係はとても微妙。ちょっとしたことでも、がらりと変わる。
学校の衣替えもまた、劇的に変わる。長袖の制服が、半袖に変わった。とたんに、くしゃくしていた友達関係も、さっと変化した。さらりと詠んで、深い句。

一草庵会場賞
梅一輪死者は生者の内に生き     松山 三好真由美
(評)春まだ浅い冷気の中に咲く梅一輪を見て、今は亡き人を偲ぶ。梅の花の凛とした気配が、
思い出の人の人格をも象徴していそう。深い哀悼の気持ちは、亡き人をいつまで心の中に住
まわせ続けるかに、かかっているともいえる。(熊野)

さくら餅少女の白き膝頭        松山 米山千秋 
(評)さくら餅の、あの独特の甘い香りと、汚れなき乙女の膝頭。ともにある種の蠱惑を感じさせて、ドキリとなる。ジュニアの作者にそこまでの読みがあったか否か不明だが、取り合わせの妙に感心。(熊野)

春の波子供のまりをさらいゆく    松山 佐藤トラエ
(評)浜辺で遊ぶ子供から、波がまりをさらっていった。追えば取り戻せる楽しい遊びだろう。だが、東日本大震災後に、この句を読むと、まりと同時に子供もさらわれたのではないかーと不安感を禁じ得ない。深読みし過ぎか。(熊野)

今を生き今を一途に花一樹      松山 岩崎美世
(評)今、生き、今、一、一と「イ」音の繰り返しがあり、今と一が二度繰り返される面白さがある。最初の「今」は現在、二度目の「今」は限られた時間ともいえる。自らの生き様を、懸命に咲く花に託した決意表明だ。(熊野)

ばあちゃんの時間の匂い毛糸玉     伯方高2年 赤瀬泉希
(評)羊毛を紡いで毛糸玉に仕上げた「ばあちゃん」の根気。その作業の継続を「時間の匂い」と詠む表現の面白さ。「祖母」でなく「ばあちゃん」と呼ぶところに、孫の親愛の情がにじんでいる。(熊野)

一草庵若葉大賞
ふらここや風とおしゃべり強くこぐ 飛騨神岡高2年 三井里莉子
(評)「ふらここ」はブランコのこと。ブランコを漕ぎながら風とおしゃべりをする。
もちろん、自問自答なのだが、気持ちが弾むとブランコを強く漕ぐことになる。
「ふらここ」といういい言葉を知って使ってみたのだろうが、内容はいかにも若々しくて気持ちがいい。(小西)
一草若葉賞
十六の私の心苺色   飛騨神岡高1年 箕成智恵香
(評)「十六の私の心」である「苺色」、即ち「赤色」は、「情熱の色」であり、「いのちの色」でもある。上五を「十六歳」として完全に切り離すのではなく、「十六の」としたことで、その数詞は「私の心」にも掛かることになり、「苺」のように甘酸っぱい、思春期独自の多様な心の揺れを見事に描写している。(白石)

春一番眠っていたもの動き出す  松山東1年 河野真樹子
(評)春を呼ぶ風、春一番が吹くと、動植物、人間も命あるものすべて、眠りから覚めて
活動し始めるのだという感覚を捉えた句である。若々しくて素直である。(本郷)

ちはやふる神の遠吠え春疾風   松山東1年 下岡和也
(評)「千早振る」は神や社にかかる枕詞。ジュニアの詠者にして、この枕詞を用いるのに驚き
もあるが、春の疾風を「神の遠吠え」とみた感性に脱帽した。(熊野)

2012年5月5日土曜日

市民公開句会『第6回俳句一草庵』の模様です。

市民参加型の公開句会「俳句一草庵(4月28日)」が楽しく開催されましたので、報告させていただきます。
応募は一般194句、中高生722句、合計916句の応募でした。(県外句は166句、一人2句まで)
京都洛南高校、岐阜飛騨神岡高校、弘前学院聖愛高校からも投句がありました。

当日、全句を紹介することが不可能なので、前日選者にお願いして、一次選考を実施。
一般の部40句、中高生の部55句で公開句会を実施しました。
選者の先生には、会場の掲示板に俳句を掲載し旗上げ方式で選んでいただきました。
会場の参加者にも挙手で選していただきました。

オープン・セレモニーとして、俳句ファッション・ショーを急きょやってみました。
ヤング・ガールとオールド・ガールズの共演です。

俳句ファッション・ショー


俳句一草庵」の模様を写真で紹介します。

「俳句一草庵」会場
会場風景

選者の先生方
今回は、村上護特別賞の特選に選ばれた朗善(ローゼン千津)さんに、特別選者として、
参加していただきました。その朗善さんが、選んでくれた俳句は、洛南高校2年・黒田さんの句でした。

友達の関係さっと衣替え  洛南高校(2年) 黒田みの里

歯切れのいい句ですね。「さっと」が生き生きとして気持ちがいい。
山頭火もよく「ひっそり」とか「ほっと」とか「やっぱり」とかの表現をしています。
いいニュースの少ない世の中、ふと「心の衣更え」をしたいと思ったりしました。

下村為山の句を思い出しました。
学僕や衣更をし裾短か    為山
 そんな若者たちの衣更えの姿には、夢と希望がみなぎっている。
コメントする高校生
高校生の参加は、松山東高校の下岡君一人でしたが、新鮮なインパクトのあるコメントを発表していただきました。
俳句部に入り、「俳句甲子園」での活躍を期待します。
参加者の選句風景

俳句一草庵大賞」に選ばれたのは、高校1年生の句でした。

麦青むいのち太鼓のやうに鳴る 済美平成中等教育学校(高1)  白石沙織

青い麦に命を見て、そこに太鼓の鳴るような生命力を感じたのでしょうか。
山頭火フォトと青麦
麦の青さにも、青春を感じます。


皆さん、素敵な俳句を山頭火さんに捧げてくれました。

山頭火さんは、こんな俳句を作っています。

麦の穂のおもいでがないでもない   山頭火


本当に、皆さんありごとうございました。楽しい俳句会ができました。

2012年5月3日木曜日

一草庵だより 第24号


一草庵だより第24号をお届けします。

今回は、第7回俳句ポスト賞の発表を掲載しました。全国各地から一草庵を訪れた方々がたくさんの句をポストに投函してくださいました。また、今回も長野や東京から貴重な投稿をいただきました。ありがとうございました。


《内容》

1ページ

  「山頭火倶楽部」ホームページ、1年を振り返って!

  劇団「俳小」公演を観て…

 なにもいらない山頭火と放哉

  今月の山頭火句

 ひとりひっそり竹の子竹になる (関連記事はここクリックしてください。)

2ページ

  『第7回山頭火俳句ポスト賞』決定発表
                                    (関連記事はここをクリックしてください。)

3ページ

  信州の山頭火(3)

  松山そぞろ歩き  みかんの花咲く丘を越えて

  案内人、徒然ばなし

  おしらせ

  編集後記