当代一流の俳人、飯田龍太、三橋敏雄、安井浩司、高橋睦郎、坪内稔典、小澤實、田中裕明
岸本尚。第二弾のメンバーは、三橋敏雄、藤田湘子、有馬朗人、摂津幸彦、大木あまり、小澤實、岸本尚毅、岡井隆。流派を超えたメンバーが句会を開いた。
その句会録を説明し、"句会の空間”と”句会の醍醐味”を語る。
俳句の活字化にともなう結社誌の普及で、俳句という世にも真剣な遊びの世界が失われているという。
ただし、広義の句会は広くおこなわれている。
ある昼さがりの公民館。
出席者全員に俳句が回覧。出席者はその中からいいと思う俳句を六、七句選ぶ。
ここで人気の集中した句は高点句と呼ばれるが、重きをおかれることはまずない。
この手の句会で重要視されるのは、「先生」が選んだ句だけである。
先生は自分で選んだ句に対する評価を一方的に述べる。
それでおしまい。まっとうな句会とは言えない。
楽しみが欠如しているし、俳句を媒介にしたコニュニケーションがない。これでは「座」と言えない。
この本を読めば、「句会とは何か」が理解できるという。
「ユリイカ」(昨年10月号)では、「現代俳句の新しい波」を特集していた。
俳句ムーブメントの一つとして、公開句会「東京マッハ」が開催される。
参加者は、文筆家、俳人5名。一般向けに売り出されたチケットは完売。
伝統に縛られない若手が、独自の作風を模索し、語る。
道後温泉本館 |
とにかく2月10日、はじめて句会に参加。
皆さんに理解できるような句会録は紹介できないが、「ほろほろ句会」に参加しての感想を少し
綴ってみたい。
参加者は9名。道後温泉本館から一草庵までの吟行。
道後温泉は、入浴客の順番待ちの列が出来てごった返していた。
コスプレ山頭火が入浴して出てきた。さぁー出発だ。
「一浴一杯」を楽しんだ山頭火の真似して、山頭火・道後の酒「一浴一杯」を発売している
水口酒造を訪ねて、お酒の試飲を。
演劇ネットワークOffice59渡部和也さん |
ずんぶり湯の中の顔と顔笑ふ |
句会の開始。
俳句のできた人は、短冊の形をした細長い紙に3句書く、署名はしない。
書かれた短冊を集める、世話人はこれをシャッフルしてバラバラにする。
各人に清記してもらうため、何枚か短冊を渡す。清記句数は、29句、清記用紙は9枚。
清記用紙の右肩に番号を打つ。
参加者に清記用紙を次々と回し、それぞれ特選1句を含めて5句の選句をおこなう。
一草庵到着、しんじゅさんと朗善さん |
選句結果の発表。
最高得点の句
人待ちの燭(ともしび)小さく浅き春 烏天狗
二位の句
竹筒の中ほろほろと春灯(はるともし) 朗善
三位の句
かきもちの上辺(うわべ)を愛でてをりにけり きとうじん
上の二つの句は、
一草庵であっと驚く出迎えをしたいと、スタッフが用意した竹筒のロウソクの灯りに感動した句。
一草庵に到着した時は、まだ明るくてロウソクの灯りの印象は弱いものだった。
この二人は運がよく、暗くなって外に出で小さい灯りに春の気配を感じたのだった。
”ほろほろ”は山頭火句の本歌どりとのことだったが、
ゆらゆらとゆれる炎は、まさに”ほろほろ”そのものだったとのこと。
竹筒の中は別天地で、ほろほろ酔っている山頭火がいるようでもある。
三位は、かき餅の句。
”かきもちの上辺”は、凹凸があり、ふくらんで黒くこげている、昔の懐かしい郷愁の味がする。
これも、スタッフがお接待として準備したもの。
カリカリと音をたてて、皆で愛でながら食べたのであった。
懐かしい味のかき餅 |
さて、山頭火だったら、どの句を選ぶだろうか。
俳句は結晶、圧縮にあらずして単純なり。(山頭火)と言っている。
「人待ちの」「竹筒の中」の句は、「ローソクの灯」に注目、単純化して詠んだうまさに切れ味のよさを感じる。
また山頭火は、俳句の真髄は、印象の象徴化なり、とも言っている。
「かきもちの上辺」の句には、作者の気持が象徴化されているように解釈したい。
小さなかき餅という「個」をつうじて「全」を表現しているのでは…。
綺麗で上品なケーキよりも、人間の手づくりのよさをを忘れてないようにしよう、
そんな囁きが聞こえてくるようだ。だからこそ、親しみを感じて皆が愛でたのではないだろうか。
まつすぐな道でさびしい 山頭火
目の前にある現実の道であると同時に、山頭火は、人生という道を象徴して表現している。
山頭火の句を考えてみる。
ほろほろ酔うて木の葉ふる
分け入つても分け入つても青い山
「ほろほろ酔うて」「分け入つても分け入つても」は山頭火の動作、
「木の葉ふる」「青い山」は目の前の情景。
このような作り方で、2音節でつくる句が多い。
ただ単に目の前に映る風景を詠んでいるだけのようだが、
山頭火の句は、むしろ人間の内面の姿を実感してしまう。
山や川や風や花が詠まれていても、象徴化された人間像がそこにある。
よって、山頭火は、次の句を選ぶのではないだろうか。
かきもちの上辺を愛でてをりにけり
読み手は、何故、何を、愛でているのだろうと考えるだろう。
人それぞれに。
「かきもちの上辺」に、何か忘れてはならない物があるように思えてきた。
象徴化された句には、羽ばたく力がある。
私自身のこと。
はじめて句会に、”迷月”という名前をつけて参加。
ブラサントウカ、サラサラ水音ザワザワ足音
ブラタモリにあやかって、ブラ・サントウカして、新しい発見を求めた。
音に注目した。水の音がサワサワと流れている。吟行者は、話しながらザワザワと音を
立てて歩いていく。吟行風景全体を何とか短い言葉で表現しようと努力した。
やっぱり、圧縮ではダメで、焦点をしぼって単純・平明に詠わなければならないと思う。
(刹那の印象にリズムをもたせ、刹那の出来事だけれども、永遠の命をうたいこみたい、
山頭火は、それを「刹那の永遠」といっている。)
それでも、この句をひとりの人が選んでくれた、嬉しかった。
とにかく、
山頭火さんが見てくれているような、一草庵での素晴らしい、楽しい句会だった。
<ちょっと発見!山頭火も見たであろう風景。>
ブラ歩きして見つけた百年以上経っているであろう、ヤシの木 |
古さ感じる、へんろ道の道標 |
昭和14年10月、山頭火が来た時にできた鳥居 |