今週の山頭火句

今週の山頭火句 仔猫みんな貰はれていつた梅雨空  山頭火

2011年11月29日火曜日

「第2回山頭火検定」の試験問題(その5)

検定問題にチャレンジしてみませんか。

問21 酒好きの山頭火が、山口県美祢市で酒関連の句を詠んでいます。その句はどれですか。

山頭火句碑
1 よい宿でどちらも山で前は酒屋で
2 ほろほろ酔うて木の葉ふる
3 酔うてこおろぎと寝てゐたよ


問22 川棚で結庵できなかった山頭火は、句友の支援で山口県小郡に結庵しました。その庵の名前は何ですか。


1 一草庵
2 其中庵
3 湯田庵

問23 小郡に庵を見つけてくれた層雲の仲間は誰ですか。

1 久保白船  
2 大山澄太  
3 国森樹明
問24 山頭火は小郡の庵で何年過ごしましたか。


1 約1年    
2 約2年     
3 約6年

問25 温泉好きの山頭火は、ある温泉で「ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯」と詠みました。その温泉はどこですか。


1 道後温泉
2 湯田温泉
3 有田温泉
山頭火句碑
解答はここをクリックしてください。解答

一草庵だより第19号

一草庵だより第19号をお届けします。

 ブログの表現が変更されたためか、拡大できなくなり、第17号までのたよりが読めなくなっています。ご迷惑をかけますが、手直しのためしばらくお許しください。

さて、第19号は次のような内容になっています。ぜひご覧ください。

〈内容〉



・今月の山頭火句
・貴重な琵琶「俳人山頭火」遂に再現!  
・山頭火検定を受検して
・第20回全国山頭火フォーラムin高砂2011に学ぶ
・「第6回山頭火俳句ポスト賞」決定発表
・熟柿
・案内人徒然ばなし
・お知らせ
・編集後記



 



[第2回山頭火検定」の試験問題(その4)

検定問題にチャレンジしてみませんか。(その4)

問16 事件後、熊本市坪井町にあるお寺に預けられて、心機一転・修行し禅門に入ります。そのお寺の名前は何ですか。


けふも托鉢ここもかしこも花ざかり 耕畝

1 瑞泉寺
2 報恩寺
3 護国寺

問17 大正14(1925)年3月、望月義庵住職を導師として出家得度、「耕畝」という曹洞宗の僧侶になり、堂守をしました。そのお堂は次のうちどこですか

1 味取観音堂
2 浅草観音堂
3 藤崎観音堂



問18 山林独住の堂守生活に耐えかね、解くすべもない惑を背負うて、山頭火は行乞流転の旅に出ました。それはいつですか。

1 大正15(1926)年4月  
2 昭和9(1934)年3月 
3 昭和10(1935)年12月







問19 昭和3(1928)年、四国八十八ケ所遍路の途中、香川県の小豆島に渡り、ある俳人の墓参をしました。その人とは誰ですか。

1 野村朱鱗洞
小豆島・尾崎放哉記念館
2 尾崎放哉
3 井上井月

問20 次の言葉は山頭火の昭和5(1930)年10月20日の日記の一部です。( )の
中に入る言葉は何ですか。


      歩かない日はさみしい


     (   )日はさみしい


      作らない日はさみしい

1 飲まない  
2 酔わない  
3 話さない

解答はここをクリックしてください。解答

2011年11月28日月曜日

[第2回山頭火検定」の試験問題(その3)

検定問題にチャレンジしてみてください。(その3)


問11 大正5(1916)年、事業に失敗し、妻子と共に熊本へ活路を求めた山頭火に
金を貸すなど終始支え続け、出家得度の保証人にもなった熊本の友は誰ですか。


1 友枝寥平(ともえだ りょうへい)
2 久保白船
3 木村緑平


問12 山頭火が熊本で開業した店は、五高生(現・熊本大学生)の溜まり場にもなりま
した。その店の名は何ですか。
雅楽多跡(現・下通商店街のダイエー)

1 萬屋
2 三八九
3 雅楽多


問13 大正7(1918)年10月31日、山頭火が敬慕した松山市生まれの天才自由律俳人がスペイン風邪で夭折しました。その人は誰ですか。


1 野村朱鱗洞
2 尾崎放哉
3 河東碧梧桐 




問14 妻子を放置して上京し、離婚された山頭火はある出来事のために、元の妻のところへ帰らざるをえなくなりました。その出来事とは何ですか。


1 東京市職員辞職 
2 関東大震災発生  
3 神経衰弱発症




問15 大正13(1924)年、山頭火はその後の人生を変える一大事件を起こしています。その事件とは何ですか。


1 熊本市公会堂前で進行中の電車の前に立ちはだかった。
2 熊本市の有名料亭で無銭飲食をした。
3 熊本市で政治活動をして、留置場にいれられた。
(現・熊本市公会堂跡)
解答はここをクリックしてください。解答

2011年11月26日土曜日

「第2回山頭火検定」の試験問題(その2)

検定問題にチャレンジしてみませんか。(その2)


問6 山頭火は26歳で結婚しましたが、その妻の名は何といいますか。


1 フサノ
2 ツルノ
3 サキノ

問7 翌年、長男が生まれました。彼は父・山頭火に給料の半分を送り続けたといわれています。その名前は何といいますか。

1 健
2 猛
3 剛


問8 大学を中退し、防府へ帰郷していた山頭火が、明治39(1906)年、24歳で父と一緒に酒造業をはじめます。その場所はどこですか。

1 山口県防府市
2 山口県大道村
3 山口県小郡町



問9 郷土文芸誌「青年」に掲載したロシア文学翻訳では「山頭火」の号を使い、大正2年からの俳号も「山頭火」に改めます。それまで使っていた俳号は何ですか。

1 蜻蛉公
2 田螺公
3 椋鳥公


問10 明治44(1911)年、荻原井泉水が創刊した自由律俳誌に投句し始め、大正5年には選者になります。その俳誌の名前は何ですか。


1 ホトトギス
2 海紅
3 層雲

解答はここをクリックしてください。解答

「第2回山頭火検定」の試験問題です。(その1)

検定問題にチャレンジしてみませんか。

           <第2回山頭火検定試験問題>

                         
解答用紙の正しい番号へ印をつけてください。


△△天満宮
問1 山頭火の生まれたところには、日本三大天神の一つがあります。その都市はどこですか

1 愛媛県松山市
2 山口県防府市
3 熊本県熊本市





問2 山頭火の生まれた年はいつですか。

1 明治15(1882)年12月3日
2 明治22(1889)年12月3日
3 明治34(1901)年12月3日


問3 山頭火の本名は何といいますか。

1 種田明男
2 種田正一
3 種田竹治郎


問4 山頭火が9歳のとき、人生を変えた事件が起きました。
その事件とは何ですか。(満年齢表記。以下同じ)


1 父竹治郎が放蕩に走った。
2 母フサが自殺した。
3 家が倒産した。

問5 山頭火は、山口中学(現・山口高校)を卒業し、東京の大学で文学の勉強をしました。同期に童話作家の小川未明もいます。その大学はどこですか。


1 慶応義塾大学
2 早稲田大学
3 明治大学


防府天満宮駐車場上の句碑
ふるさとは遠くして木の実 山頭火
解答はここをクリックしてください。解答

2011年11月25日金曜日

第2回山頭火検定問題<解答>

皆さんできましたか。正解は次のとおりです。

<問1>  正解 2 山口県防府市     
<問2>  正解 1 明治15(1882)年12月3日
<問3>  正解 2 種田正一
<問4>  正解 2 母フサが自殺した。 
<問5>  正解 2 早稲田大学

<問6>  正解 3 サキノ
<問7>  正解 1 健
<問8>  正解 2 山口県大道村
<問9>  正解 2 田螺公
<問10> 正解 3 層雲

<問11> 正解 1 友枝寥平
<問12> 正解 3 雅楽多
<問13> 正解 1 野村朱鱗洞
<問14> 正解 2 関東大震災発生 
<問15> 正解 1 熊本市公会堂前で進行中の電車の前に立ちはだかった。

<問16> 正解 2 報恩寺
<問17> 正解 1 味取観音堂
<問18> 正解 1 大正15(1926)年4月 
<問19> 正解 2 尾崎放哉
<問20> 正解 1 飲まない


<問21> 正解 1 よい宿でどちらも山で前は酒屋で
<問22> 正解 2 其中庵
<問23> 正解 3 国森樹明
<問24> 正解 3 約6年
<問25> 正解 2 湯田温泉


<問26> 正解 2 中原中也
<問27> 正解 2 松山市 
<問28> 正解 1 高橋一洵
<問29> 正解 1 ちくぜんや
<問30> 正解 3 伊藤大輔


<問31> 正解 2 大山澄太
<問32> 正解 1 石手寺
<問33> 正解 1 「草木塔」
<問34> 正解 3 井上井月
<問35> 正解 2 ここまで来しを水飲んで去る


<問36> 正解 2 防府・護国寺 
<問37> 正解 1 庚申庵
<問38> 正解 2 昭和15(1940)年10月11日
<問39> 正解 3 昭和5(1930)年9月9日
<問40> 正解 2 咳をしても一人


<問41> 正解 2 分け入つても分け入つても青い山
<問42> 正解 1 花いばら、ここの土とならうよ
<問43> 正解 1 焼かれて死ぬる蟲のにほひのかんばしく
<問44> 正解 1 うどん 
<問45> 正解 3 ちしゃもみ


<問46> 正解 3 愛媛県松山市一草庵
<問47> 正解 3 永平寺
<問48> 正解 3 咲いて一りんほんに一りん
<問49> 正解 2 宝厳寺
<問50> 正解 3 雨の日は雨を聴く


<問51> 正解 3 松
<問52> 正解 2 四国
<問53> 正解 1 椿
<問54> 正解 1 草鞋
<問55> 正解 2 若竹


<問56> 正解 3 温泉(ゆ)
<問57> 正解 2 おもひで
<問58> 正解 3 雲
<問59> 正解 3 雪
<問60> 正解 2 ほうたる

2011年11月24日木曜日

「第6回山頭火俳句ポスト賞」決定・表彰。

「第6回山頭火俳句ポスト賞」が決定しました。
(投句期間 23年7月1日~23年10月31日)
一草庵の木守柿(23.11.23)
一草庵「山頭火俳句ポスト」に投句された174句。(内、県外句は37句、東京・横浜・埼玉・岐阜・彦根・京都・彦根・北九州市、沖縄の人からの投句もありました。)
各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。
「第5回俳句一草庵(11月23日)の日」に表彰。

山頭火俳句ポスト賞
泥酔も母の位牌もしぐれをり   横浜市 水澤弘之 

(評)母の位牌を懐に、しぐれに濡れてさまよう山頭火の姿が見える。彼の生涯に詳しい人の観念句だが、投句先が「山頭火俳句ポスト」だけに「読み手は山頭火をよく知るであろう」と予測した作者の意図は、見事にはまった。つい先ごろ、句に詠まれたような光景があって詠んだ写生句ででもあるかの如き錯覚に捉われる。それは、山頭火の愛惜の念に負うものかもしれないが……。(熊野評)

小西昭夫・選
【特選】はたた神連れ来て庵の客となる  東温市 井門敬之

(評)「はたた神」とは雷のこと。雷を連れて庵を訪問したというのは穏やかではないが、何か爆弾を持って訪れたのではない。「はたた神」という古風な表現が、雷と一緒に庵を訪ねたことを面白がっていることを教えてくれる。

【入選】地図片手見知らぬ街の秋を踏む  松山市 秋山豊美 

(評)作者にとって見知らぬ街は松山だろうか。もちろん、松山でなくてもいいのだが知らない街では地図が頼り。見知らぬ街は未知の街。未知の街の秋を踏むよろこびが伝わってくる。

白石司子・選
【特選】はたた神連れ来て庵の客となる  東温市 井門敬之

(評)俳諧味のある句だ。
何処からかふらっとやって来た作者は、すまし顔で一草庵の客となったのであるが、こともあろうに静かに眠っている山頭火を起こすが如く、「はたた神」を連れて来たのである。
十七音のリズムの凝縮がこの句を秀逸とさせていると思うし、「雷」ではなく「はたた神」としたことも効果的だと思う。

【入選】いち日をひとり秋風つれ歩く  松山市  片岡寿子     

一草庵・木守柿
(評)一句一章で句意は明解。しかし、秋の訪れを告げる爽やかな風、晩秋の蕭条とした風と、季語「秋風」の捉え方によって内容が変わってくるため、読者にさまざまなことを想像させるものに仕上がっている。
全体的に平仮名表記が多いことから、そんなに深刻とは思えない「いち日をひとり」無の境地となって、「秋風」を「つれ歩く」のも悪くない、まるで山頭火のように・・・。ふとそんな思いにさせる一句だ。




高橋正治・選
【特選】歩いても歩いても曼珠沙華  松山市 宇都宮良次

(評)過去の歩みの中に求めつづけてきたものは、灯火のような鮮烈な色をもつ一点に
華開く実理なり。歩け歩け、あり方を尋ねゆく漂泊者の姿が見えてくる。

【入選】静かに思う雲の流れに    松山市 浮浪雲

(評)去りゆくもの消えゆくものの美しさ。
大自然に寄り添う心の静けさ、一切の打算から離れ、生命の醒めた一刻の光景がある。

本郷和子・選
【特選】山頭火終の一間の扇風機   埼玉県越谷市 屋内修一

(評)復元されてはいるが、昭和15年当事の間取りそのままの一草庵。この部屋で山頭火は泥酔し、寝込んだまま逝った。今、ポツンと扇風機がまわっているだけである。
作者は、独りこの部屋に佇むことで山頭火の最期のことに思いをめぐらしている。
みたままを軽く詠んでいるようで、ないようを深く膨らますことのできる句である。。季語の「扇風機」によって、この句は生きた。

【入選】秋思ふと現世は旅の途中なり  松山市 村上邦子

(評)現在、私たちが生きているのは仮の世であり、来世へ続く旅の途中であるという。観念的な句であると言えるかも知れないが、人生を深く考えるとき、「旅の途中」と言い切ることによって、死への恐れは薄れてゆく。上五の「秋思ふと」で、なお作者の感情が
表現できており、読み手は共鳴するのである。

熊野伸二・選
【特選】なすがまま吹かれ呆けて猫じゃらし  松山市 本郷和子

(評)「猫じゃらし」はエノコログザ(狗尾草)の事。空地や道端のいたる所に見られ、
晩夏から初秋にかけて花穂が風にそよいでいる。「なすがまま」吹かれている柔軟さが、
生きる術だが、「呆けて」と擬人化して、あたかも草に意思があり、そのしたたかさを揶
揄しているように読める。

【入選】片蔭を来て一草庵の会者定離    松山市 井門敬之

(評)炎暑の午後、軒下や樹木の日陰をたどって庵を訪ねると、人とめぐり会う。が、
会えば分かれるのが世の定め。山頭火の生涯も、早送りして見れば、世の非情を避けて
人情の片陰を辿り、優しい人にめぐり会い、別れて来た人生だった。仏教用語「会者
定離(えしゃじょうり)が効いた。
受賞を待つ高田君

【一草庵若葉賞】
せみのこえないてひびくよいっそうあん  西条市 高田紘碧(6歳)

(評)庵を訪れた少年は、小さな仏壇があるだけの何の変哲もない和風の家に、どんな感慨を抱いたのだろうか。むしろ、裏山や前庭の樹木から響いてくる蝉の声が印象に残ったのだろう。

2011年11月17日木曜日

[第5回俳句一草庵」への招待(2)








長建寺には句碑が多い。
門前には、昭和36年に建てられた大島梅屋の句碑がある。
  門前に野菊さきけり長建寺
梅屋は小学校の先生、子規と漱石が同居した愚陀仏庵の隣に住み、毎日のように句会に参加していた松風会会員。
句は三行に記し、右肩に「圧巻」その下に「子規子選」とある、子規の書である。



進んで歩いていくと、山頭火の句碑と、山頭火を敬愛し、その最後を見守った高橋一洵さんの句碑が対面遊戯して建っている。

   もりもりもりあがる雲へあゆむ    山頭火
   母とゆくこの細径のたんぽぽの花   一洵

 句碑は、一洵の19回忌、昭和51年1月26日に建立された。
一洵さんは、お母さんのことを語らない日はなかったと、この句が選ばれた。
山頭火も同じように母の位牌を抱いて托鉢、一洵さん、五十九歳で亡くなられた、同じく山頭火も五十九歳だった。
一洵さんの句碑を建てる時、その前に山頭火翁の旅姿に似た七尺の巨石があり、歓喜して建てたとのこと、二人の語り合う姿が今も見えるようだ。

右手庭のほうへ進むと、無造作に子規の句碑が転がっていた。

 筆に声あり霰の竹打つごとし  子規 

明治31年12月の作。
「子規を一俳人、だだの俳句の先生とのみ見ていた者は、新聞記者としての子規の活躍ぶりの多芸多能と、敏感、適応性に驚嘆した」との碧梧桐の一文あり、新聞記者として竹を打つ霰のような鋭い記者魂が窺える。

庭を進んでいくと、芭蕉の句碑がある。
 よくみれば薺花さく垣根かな  芭蕉

芭蕉44歳、1687年、江戸深川の草庵での句のようだが、長建寺に刻まれた句碑は、記録もなく、いつ建てられたか、由来もわからない。
つい見過ごしてしまいそうな何気ない日常の一コマに気づいて感動し、そこから真理を読み取る鋭敏な感受性をもちつづけておられることが凄いと。(南無の会代表・臨済宗僧侶松原泰道)




長建寺には、句碑以外に興味を引く墓が二つある。
一つは、永井ふさ子の一人墓。斉藤茂吉の愛人であった永井ふさ子が、永井家累代の墓には入らず、間をおいて小さくひっそりと佇む。お墓の背面に、

ありし日の如くに杏花咲けり み魂かえらむこの春の雨 ふさ

が刻まれている。父の命を縮めたのは自分だ、と歌う。
茂吉52歳、ふさ子24歳。年の差は28歳。
しかし、師弟関係から男女の仲に変わるのに、時間はかからなかった。
愛人ふさ子はとびっきりの美人であった。茂吉は、手紙に「ふさ子さん!ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか」と
書いた有名なくだりが残こされている。
茂吉とふさ子の合作の歌。前が茂吉、後がふさ子。
   光放つ神に守られもろともに
          あはれひとつの息を息づく  
茂吉の死後、恋の往復書簡を公表。(「小説中央公論」昭和38年7月~11月号)
歌壇は騒然となったが、非難の声はふさ子へと集中した。

茂吉は、正岡子規に影響を受けた「アララギ」の代表歌人。
自分の考え方を「実相観入」という言葉で表現する。
「実相に観入して自然・自己一元の生を写す」
外界を表現するのか、内面を表現するのかという対立を、象徴的な自然描写によって統一的に表現しようとする。
 
これこそ、俳句は象徴詩だといった、山頭火の俳句の世界だ。

興奮を抑えて、もう一つの高橋丈雄の墓を紹介しておこう。
太宰治にも絶賛され、林芙美子とも交流のあった小説家・尾崎翠の恋人だった劇作家・高橋丈雄のお墓がある。翠36歳、丈雄26歳。こちらの年の差は10歳。
尾崎翠のこんな詩を見つけた。
    おもかげをわすれかねつつ
      こころかなしきときは

   ひとりあゆみておもひを野に捨てよ
    おもかげをわすれかねつつ
      こころくるしきときは 
      風とともにあゆみて
       おもかげを風にあたえへよ                                                                                                                                  
彼女は、鳥取県石美町岩井温泉の出身、花屋旅館に尾崎翠記念館ができている、金子みすずの
ように脚光を浴びるかも知れない。

高橋丈雄の
「文壇では、僕が彼女を一時的にもて遊んで捨てたために、彼女はノイローゼになって帰郷したという噂が立ち、僕はアゼンとしました…」という手紙が紹介されていた。
愛媛出身の人と結婚して、丈雄は松山へ居を構える。
高橋丈雄、昭和4年に「改造」で入選した戯曲「死なす」で文壇にデビュー。
松山で文芸同人誌「アミーゴ」を創刊したり、演劇活動の指導者として活躍する。

随筆集「鳥と詩人」の中の「山の中の家」を紹介しておこう。
一草庵のある御幸山の中腹の一軒家に三年あまり家族で住んでいたとのこと。
山の中には電灯はあったが、水道や井戸はなかったらしい。
千秋寺の山門をくぐると、俳人山頭火が「どんこ川」と呼んでいた川幅二間あまりの小川があって
土橋がかかっていた。
「どんこ川」に沿って道後まで歩いてみる気になった。
ふと、私は、御幸寺にある、山頭火の句碑に挨拶していこうと思い、境内に入ってみたが、どこにも見当たらない。家々の垣根にはさまった路地を二度ばかり折れると、忽然とあの青い海の匂いのする自然石が現れた。
「鉄鉢の中へも霰」 大きく、刻みの深い文字が、昔より白く塗られて、鮮やかに読まれた。

長建寺のガイドが、私にまわってきそうなので、少し勉強をしてみた。
尚、長建寺には、正岡子規や秋山真之の和歌の先生であった井手真棹(まさお、本名正雄)の墓もある。
             
      

2011年11月16日水曜日

「第5回俳句一草庵」への招待(1)

平成21年11月29日スタートした「俳句一草庵」も、今回で第5回を迎えます。
秋の俳句一草庵は、吟行俳句を楽しんでいただきます。是非、ご参加ください。

  【日時】  平成23年11月23日(祝) 13:00~16:00
  【集合】  長建寺 13:00 (愛媛県松山市御幸1丁目281)
  【甲込先】 NPO法人まつやま山頭火倶楽部  090-6882-0004
  この日に併せて、一草庵にて「第6回山頭火俳句ポスト賞」の表彰を行います。
  (平成23年7月1日~10月31日の投句俳句を選者の先生に選んでいただきました。)

 吟行コースは、「長建寺~一草庵」です
 (一草庵では、軽音楽とバザーを準備して、お待ちしています。)

 吟行の中心は、長建寺です。
 長建寺のこと、少し説明しておきます。
  秋は紅葉の長建寺といわれる城北の浄土宗のお寺です。
 浄土宗の名僧・学信は当寺の15世。
 広度山誓応院長建寺といい、広い度量で誓いに応じることで松山城が長く建つことを念じています。

書画も好くした学信の書(名号)
 高僧列伝の一人といわれる「学信」のことを説明しておきます。
今治地方に、「あめを買う幽霊」の民話が残っています。
身ごもって死んだ母、一文銭をもった幽霊が夜な夜なあめを買に現れ、後を追ってみると、墓の中で生まれたばかりの赤ちゃんがあめをなめていた。そのあめで育ったのが江戸時代に実在した高僧、学信だったという話。
その子供は20歳のとき、増上寺で学び、安芸厳島の光明院に住持していたが、懇請され、長建寺の十五世となる。八代藩主松平定静の招請で、松平家菩提寺大林寺の住職となる。
次代の定国公のとき、罪人の赦免を嘆願して聞き入られず「我等の請ひが叶はねば、住職の甲斐なし」、決然として去り、再び厳島の光明院へ移った。

 山門の右手奥に小さな森があり、浄土池泉庭園となっている。
庭には池があり、中島が作られ、木の橋と石の橋がかかっている。池の中には城主拝領の大きな六角の雪見灯篭が据わっている。左奥には、滝を構成する石組みも見られる。
池畔には、書院風の天岳楼がある。池を海に例えて仏教伝来の地も思い、また池を心の字形で捉え悟りの世界を味わっていたのだろうか。
 今回「天岳楼」は、住職さんのご好意で、特別開放してくれます。
池から眺める感動を、それぞれ俳句にしたためて欲しいものです。
長建寺は、日清戦争の時から、捕虜収容をされていたそうです。




紅葉すると、綺麗でしょうね。


2011年11月14日月曜日

一草庵「今月の山頭火句」(11月)

酔うてこほろぎと寝てゐたよ

行乞や知人から得たお金があれば、又、お酒に浸る。泥酔から覚めれば悔恨の念にかられる。
この繰り返しに、人間山頭火を見る事が出来る。
これが人の業の深さというものであろうか。(ちとせ)

昭和五年十月九日の日記に出てくる。宮崎県日南での作。
七日の日記には、「酔中野宿」と前書きして、「酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ」と詠んでいる。
説明的すぎるので、「いつしよに」を削除している。
昭和六年一月号の「層雲」に発表された句。
澄太さんはいう、「修証義」を唱えていると、静かにお経をきいていたお婆さんが重そうな壺をかかえて、「あんたこれ好きか。」という。藷焼酎がぷんと匂う。
「うん」とうなずいて、鉄鉢を捧げた。なみなみと一杯になるまで受けて、その場でぐいぐいやった。
その先からさっぱりわからなくなった。耳元でこおろぎがしきりに泣くので目が醒めた。
夜空には星がまたたいていた。日記にはこんな句も綴られている。
      酔ひざめの星がまたゝいてゐる
      どなたかかけてくださつた筵あたゝかし
山頭火の句には、こほろぎに鳴かれたり、とんぼがとまったり、鴉、蝶々、みのむし、ふくろう、とかげ、
そして、さびしい道を蛇によこぎられる様子などが友達のように詠まれている。
どこかユーモラスで、その行き先に大きな世界を感じさせてくれる。

<参考>
 昭和5年の時代背景。
 昭和4年10月24日、ニューヨーク・ウォール街で株が大暴落、世界大恐慌が起こり、失業者が全世界5000万人に

 及んだという。昭和5年、小津安二郎の映画「大学は出たけれど」が大ヒットする。
 そして、昭和6年に満州事変が勃発。
 何故か、今の世界、今の日本によく似ていますね。

山頭火句の英訳を紹介しておきます。

   Oh, I slept、
   In drunkeness,
    With  this  cricket.            ジェイムズ・グリ-ン

2011年11月2日水曜日