今週の山頭火句

今週の山頭火句 すわれば風がある秋の雑草  山頭火

2011年10月31日月曜日

一草庵「今月の山頭火句」(10月)

踏みわける萩よすすきよ

秋の七草の季節か、萩・芒・桔梗など愛でつゝ、その中を行く山頭火、
この美しい花野の季節がすぎれば、又、寒くてきびしい時を迎えねばならない、
自然の花や、山や川、野原を愛した旅人。(ちとせ)

 この句には、前書きがあります。
昭和二年三年、或いは山陽道、或いは山陰道、或いは四国九州をあてもなくさまよふ。
昭和三年十一月号の「層雲」発表句九句の中に出てきます。
へうへうとして水を味ふ の句もこの中に含まれています。

小野沢実さんが、この句を上手に解説してくれています。
「五、三、四音とリズミカルに簡潔にうたい切って、山頭火の心ははずんでいる。……
町並みをぬけて山道にさしかかり、そこで萩や薄と出会いを持ったのである。山頭火はそれに
時おり手を触れながら、今年も好きな秋がやって来たことを喜んだのだろう。
家々の門口に立つ時、山頭火は必ずしも人々の歓迎を受けなかったはずである。というより、
心を傷つけられる仕打ちにしなしば出あったろう。しかし、こうして大自然に迎えられ、だれをも
全く差別することのない数々の贈り物に触れることで、たちまち生気をとりもどしていったのである。
思わず知らず、大自然の中に歩み入る山頭火の足どりははずむのであるが、その歩むぶりを、
そのまま「踏みわける」ーーと簡潔直截にうたいだし。「萩よすすきよ」とリズミカに結んだのである。」

山頭火さんは、澄太さんにこんな話もしています。
「澄太君、日本の秋は結局萩とすすきだね。萩の花からこぼれる露をふんで山路を歩き、すすきの
原に沈む大きな夕日を眺めると。わしのような孤独な漂泊者は、いつ死んでもよいとさえ思うよ」

山頭火句の英訳を紹介しておきます。

 Pushed  my  way  through
           O!  my  friends
                   a  bush  clover, and
                       pampas grass                   西村秋羅
(いつしか秋、萩とすすきが象徴する日本の秋、踏み分けて今日も山頭火は旅する。)

<追伸> 10月29日 「お城下ウォーク」の人たち、2100人が一草庵を訪れました。
 コースは、坂の上の雲ミュージアム ~ 愛媛大学ミュージアム ~ 松山大学温山会館
       ~ 一草庵 ~ ロシア人墓地 ~ 二之丸庭園 ~ 城山公園 (約8キロ)


南海放送ラジオが生中継をしていました。
Capyのお姉さんにインタビューされましたので、一草庵のことをPRしておきました。

「一草庵に来るとパワーをもらえるという人がいるんですよ。
一草庵はパワースポットなんです。
 山頭火さんは、お母さんが自殺、家が破産、妻と離縁、弟も自殺。
そんな苦悩を背負った、波乱万丈な人生を体験した人なのです。
人生の後半42歳から何もかも捨てて ひとり放浪の旅に出て15年
最後に松山にやって来て、この一草庵で、コロリと大往生した人なんです。
そのパワーが一草庵に潜んでいるのです。」

お城下ウォーククイズです。
「ここ一草庵を終の住処とした種田山頭火。戦前日本の俳人で自由律俳句の
もっとも著名な俳人の一人として知られています。
では、山頭火の本名は?
 ①種田貫一  ②種田巧一  ③種田正一     <ヒント あなたは正しい!>

2011年10月27日木曜日

記念作品 まぼろしの琵琶「俳人山頭火」DVD完成! 上映会を開催します。

10月10日に開催した筑前琵琶「俳人山頭火」復活コンサートの記念作品として
俳人山頭火DVDが完成しました。
 
「念ずれば花ひらく」ではないですけれど、沢山の人のご協力を得て、ひとつ、ひとつ花が開いて
最後の仕上げとして、見事な琵琶で語る「俳人山頭火」のDVDが出来上がったのです。

その琵琶「俳人山頭火」復活のいきさつを紹介しておきます。
それは、今から2年前2009年11月4日から始まります。
 ① 「10月松山で開かれた全国山頭火フォーラムに参加して、山頭火に近づくことができました。
   41年前、67歳で亡くなった父の書簡を整理していて、ボロボロになった琵琶謡「俳人山頭火」
   の歌本が見つかりました。……筑前琵琶で、再びこの謡が奏でられるのを聴くことが出来たら
   と淡い夢をだいています。」という記事が愛媛新聞「へんろ道」の欄に載ったのです。

 ②しばらくして、11月9日 山頭火倶楽部宛てに、
  松山市内の蔀因(しとみちなみ)さんからお便りをいただきました。
   「父の遺品の中から「俳人山頭火」の琵琶謡がでてきました。
   なにかの機会にお役立てください。」と、「俳人山頭火」の歌本が届きました。


 ③この「俳人山頭火」の詩がいいですね。
  この世に、こんなに山頭火を理解していた人がいたのかと、ビックリいたしました。
  涙しながら聞いていたという人にもお会いすることができました。

  そういう経緯を経て、「筑前琵琶 俳人山頭火」の調査を始めました。
  山頭火顕彰第一人者・大山澄太さん編集主宰の「大耕」という雑誌にその歌を発見することが
  できました。やっぱり澄太さんだったのかと、思わずうなずいてしまいました。
  昭和32年12月14日の日録に。
  「俳人山頭火」を田村旭都さん、筑前琵琶にて演奏、一同感服敬聴。」とありました。
  今から55年も前のことです。
  そして、「山頭火の命日」に演奏されていることがわかりました。
  NHK、民放でラジオ放送されてたことも、紹介されていました。
  その録音テープを探し始めるのですが、なかなか見つけることができませんでした。

 ④そんな時、今年の4月ですが、澄太翁の愛弟子・宇都宮長三郎さんとの出会いが一草庵で
  ありました。西予市明浜の方です。そのテープ探してみますとのことでした。
  後日、琵琶謡の作曲者・田村旭都さんの娘さん渡辺萬里子さんが、宇和島市吉田にいて
  練習用のテープを持っているとの連絡がありました。
  (下左写真、取材を受ける素敵な渡辺萬里子さん。右写真、再会した萬里子さん、久仁子さん、宇都宮長三郎さん)






 ⑤今年の5月、松山の椿神社、山頭火の句碑の玉垣が100以上をあるところです。
  そこで、宇都宮さんから、カセット・テープをいただきました。

 ⑥早速、昨年度お目にかかっていた愛媛県琵琶連盟の筑前琵琶演奏家・見立先生に
  相談しました。やってみましょうと引き受けてくれたのですが、大変苦労されたようです。
  お陰で、ここに山頭火の一生を琵琶で奏でる「俳人山頭火」を聴けることとなった訳です。

 ⑦このDVDの映像の中には、
  この日のことを聞きつけて、天国から一草庵にやって来た山頭火さんご一行も
  記録されています。
  衣装も揃えて、大山澄太、田村旭都さんと連れ立って来てくれました。 
  フィナーレは、大山澄太さんの愛娘・久仁子さんの登場です。
  連絡もしていないのに、噂を聞いて三重県伊勢市から来てくれました。
  そのご挨拶に涙しました。
  
 ⑧そして山頭火さんは最後にも魔術をかけて、DVD映像技師に合わせてくれました。
 そんな訳で、どこに出しても恥ずかしくないれ歴史に残る「俳人山頭火」のDVDができました。

 そのお披露目を、11月3日(木・祝)に山頭火検定合格発表を記念して
 「俳人山頭火DVD」上映会を開催します。是非、映写会にきてくださいね。

   場所  子規記念博物館 1F  視聴覚室
   時間  11月3日 14:00~15:30 (参加は自由で無料)

  ※ この「まぼろしの琵琶 俳人山頭火」 ご希望の方には頒布いたします。
    (値段は、800円とさせていただきます。)
     連絡先  NPO法人まつやま山頭火倶楽部 
           〒799-2651 松山市堀江町甲1615-3
           電話 090-6882-0004  FAX 089-978-5959

2011年10月17日月曜日

72回を迎えた山頭火・一草忌。

山頭火・一草庵まつり、最後の行事は、山頭火の72回一草忌です。
祥日命日(亡くなった日と同じ月日)の10月11日に一草庵で法要を行う。

御幸寺の土屋住職が、忙しい中やって来てくれ、お経を読んでくれました
全員で、般若心経を読経しました。


子規記念博物館から山頭火の遺品「鉄鉢」「煙管」「煙管入れ」が届きました。
特別公開の山頭火の鉄鉢
「鉄鉢」は、年3回 
山頭火が松山へやって来た日、10月1日。
山頭火の命日、10月11日。
山頭火の一草庵入庵日、12月15日に、一草庵で公開されます。

蕪村が、約百年後、正岡子規に、一茶が約百年後に、荻原井泉水に見出されたように、山頭火も、百年後、再認識されるでしょうか。

梅原猛さんは、次のようにいっています。
宮沢賢治は昭和八年に三十八歳の命を閉じるときは、ほとんど無名であった。
しかし、今では宮沢賢治は二十世紀の日本を代表する文学者になった。
……
宮沢賢治ほどではないと私は思うが、種田山頭火も永遠に輝くものをもった俳人であったことはまちがいない。
かつて一世の俳壇を風靡した巨匠たちの句は今では忘れられ、当時前衛のまことに風変わりな乞食俳人と思われていた山頭火の句が年とともに多くの日本人に親しまれ、山頭火こそ二十世紀の日本を代表する俳人となってしまった。
彼の句に、人間の心の奥に語りかける永遠に古びないきらきらしたものがあったからである。
(1991年3月)

 そうこうしていると、俳優の榎木孝明さんが、一草庵に来てくれた。
松山三越で、水彩画の個展をしているらしい。180cm以上あるような背の高い、ダンディな人だった。
鉄鉢をもつ山頭火好きの榎木さん
  

2011年10月11日火曜日

まぼろしの琵琶「俳人山頭火」が、よみがえりました。

茂本ヒデキチさん描く山頭火の幟
琵琶「俳人山頭火」再現コンサートの模様を
紹介させていただきます。

倶楽部の皆さん、よくやったなぁーと誉めてあげたい気持ちで一杯です。


演奏者の心のこもった演奏、胸にしみいる琵琶の音色、それに陶酔する観客。
一草庵広場が一瞬、琵琶の調べに導かれて、幽玄の世界に包まれたようでした。

 最初の演奏は、西郷隆盛、悲運の最後を伝える 琵琶「西郷隆盛」。
 演奏者は、筑前琵琶 橘流 日本橘会 見立旭庸さん。
  
                            
続いて、「敦盛」を錦心流薩摩琵琶 全国一水会 明庭豊水さんが演奏されました。
今から800年前、須磨・一の谷の合戦、平家物語 敦盛最後の場面。
無冠の太夫、平家の若武者・敦盛は、熊谷直実にあえなく討ち取られてしまいます。
観客、静かに語り始めるはじめる明庭さんの琵琶の響きに吸い込まれてしまいました。
♪太刀に哀れや磯千鳥 鳴くも悲しき須磨の浦
須磨寺には、笛の名手・敦盛の「青葉の笛」が保存されているそうです。
ここにある源平の庭の前に蕪村の句碑が建っています。
「笛の音に波もよりくる須磨の秋」
宇和島出身の大和田建樹の作詞の曲「青葉の笛」を添付しておきます。
              http://www.youtube.com/watch?v=M6mcnfa0IvQ&feature=related
琵琶のお話もしていただきました。
さて、いよいよ「俳人山頭火」がはじまります。
突如、どこからか、三人の一行が会場にあらわれます。
な、な、な、なんと山頭火さんじゃないですか。噂を聞きつけて天国から琵琶を聴きに来たようです。
山頭火さん、大山澄太さん、田村(佐竹)旭都さん
 ♪無一物中 無尽蔵  いのちをかけて 俳三昧  天地一杯に詠いける
その名も高し山頭火  その名はゆかし山頭火  筑前琵琶で見立旭庸さんが、弾き語ります。
立見もでる150人もの人が来てくれました。
 本当に嬉しいお話があります。
ご案内もしていないのに、噂を聞いて、大山澄太さんの愛娘、三重県伊勢市に住む久仁子さんが
駆けつけてくれました。本当に喜んでくれ、もらい泣きしました。
三重県伊勢市から駆けつけてくれた井原久仁子さん
 http://ameblo.jp/sunnydaylight/entry-11044197735.html
このコンサートの模様は、DVD作品として残したいと考えています。

「第2回山頭火検」を10月10日実施。

一連の「山頭火・一草庵まつり」が終わりました。
 まずは、「山頭火検定」のご報告です。

  第2回の「山頭火検定」を実施しました。
  高校生から82歳のおじさんまで、31名の方が受験。
  NHKラジオ深夜便でも「時の動き」で紹介してくれましたよ。
  NHK松山放送局とあいテレビが来て、テレビ報道してくれました。

  昨年度は、県外から10名の受験者があったのですが、残念ながら今年はいませんでした。
  第一回目は、共同通信さんが、全国発信してくれましたので反応がありました。
  HPグログでの紹介では、手応えがありませんでした。

取材を受ける高校生

愛媛新聞より
合格発表会は、11月3日、子規記念博物館 視聴覚室で行います。
山頭火関連のお話をします。参加自由です。
  (別途、また試験問題は公開します。)

2011年10月7日金曜日

「俳人山頭火」の生涯を謡う琵琶コンサート!        開演まじか。

 愛媛新聞の多和さんが、「琵琶歌・俳人山頭火」復活の記事を書いてくれました。
いよいよ、10月10日(月・祝) 午後3時より 山頭火終焉の地・一草庵で
琵琶「俳人山頭火」再現コンサートが開演されます。
 
琵琶「俳人山頭火」再現コンサートのプ ロ グ ラ ムは、次のとおりです。     

 〈曲目〉「西郷隆盛」    筑前琵琶橘流 日本橘会      見立旭庸
      「敦盛」      錦心流薩摩琵琶 全国一水会      明庭豊水
      「俳人山頭火」 筑前琵琶橘流 日本橘会     見立旭庸

 【西郷隆盛】

    明治十年二月、征韓論に破れ、鹿児島に引きこもっていた西郷は、血気にはやる学生達に
   擁せられて、やむなく兵を挙げました。
   激しい攻防戦が続き、惨敗の一途をたどった西郷は、故郷鹿児島に引き返し、やがて岩崎
   谷の露と果ててゆきます。
   ♪孤軍奮闘囲いを破って還る 我が剣は既に折れ 我が馬はたおれる 秋風骨を埋む 
   帰郷 の山
   明治維新の功労者、一代の英雄、西郷隆盛の悲運の最後を伝える物語です。

  【敦盛】          

   一の谷の戦いで源氏に破れた平氏は、一の谷を落ち延びましたが、
   逃げ遅れた平敦盛は勇敢、果敢に熊谷直実にいどみますがあえなく打ち取られます。
   ♪兜をつかんでうち見れば、思いかけぬ十五、六  涙ながらに振り上げし 
  太刀に哀れや磯千鳥 鳴くも悲しき須磨の浦
    (平家の若き公達・平敦盛が、源平の戦いで、剛毅で知られる源氏の武将、
 熊谷直実に組み伏せられ非業の最期を遂げるところを、臨場感たっぷりに語ったもので、
 戦場の荒々しさと、若く美しい敦盛を前にした直実の心の迷いと、討ち取られる敦盛の
 無常観のコントラストが、琵琶の音色と力強い語りで見事に再現され、聴く人の涙を誘い
 ます。)

  【俳人山頭火】 
        
    分け入つても分け入つても青い山
    人生を俳句に求めて、放浪漂泊の旅を続けて十五年。
    俳人山頭火は、この松山の一草庵を終の棲家としてコロリと往生します。
    その山頭火の一生を琵琶の音色で弾き語ります。
    ♪都の西北 早稲田の森に  学びし頃の黒髪を
    剃って棄てたる山頭火   黒染めの衣に あじろ笠
    ふかくかむりて鉢の子を  
    片手にもちて ひょうひょうと…… 
    遍路を終えて松山なる   一草庵に住みてより
    友あり酒あり湯もありて  伊予の風土を愛しつつ
    腹はへっても句は作り   『草木塔』を世に出しぬ 

  シルクロードを通って、中国より奈良時代に伝来した琵琶。
  その日本最古の琵琶が、正倉院の「螺鈿紫壇五弦琵琶」です。
  琵琶の音色、なかなか聴く機会はありませんね。
  いにしえの琵琶の音にふれて、現世を忘れて、別世界へいってみませんか。
     ※ 一度お目にかかったことのある、金田一春彦先生が平家琵琶の名手だったとのこと、
    ビックリした。

2011年10月6日木曜日

琵琶『俳人山頭火』再現コンサートのご案内!      まぼろしの琵琶『俳人山頭火』よみがえる。


   

   生死の中の雪ふりしきる   山頭火
これから新しい人生を歩もうとする、山頭火の前に雪は降りしきる。捨てても捨てても煩悩が出てくるのだった。
私の人生が私の俳句の前書きであると、山頭火は言っているが
この句には前書きがある。

   (しょう)を明らめ 死を明らむるは    
   佛家一大事の因縁(いんねん)なり <修証義>
  
                                                                           道元著「正法眼蔵」をまとめた「修証義」の書き出しの言葉。
      (俳句の前書きに、道元禅師の言葉を用いた人などいないと思う、
   「明らめ」とは、仕方がないとあきらめる意味ではなく、明らかに極めることを意味します。)
この言葉で始まる、琵琶「俳人山頭火」のカセット・テープが見つかった。
「俳人山頭火」を田村旭都さん、筑前琵琶にて演奏、一同感服敬聴。」
と大山澄太さん編集発行の「大耕」昭和32年12月14日の日録に記載されている琵琶曲。

  筑前琵琶 俳人山頭火  作詞 大山澄太  作曲演奏 田村旭都


   生を明らめ  死を明らむるは    
   佛家一大事の 因縁なり                                                        
                                      
 都の西北    早稲田の森に
 学びし頃の   黒髪を         
 剃って棄てたる 山頭火       
 墨染めの衣に  あじろ笠      
 ふかくかむりて 鉢の子を
 片手にもちて  ひょうひょうと   
 旅しつづける  幾山河       
 芭蕉の道に   あこがれて     
 良寛さまを   慕いつつ      
 奥の細道    たどりける 

     (省 略)
    
    「山あれば山を観る
    雨の日は雨を聴く  
    春夏秋冬
    あしたもよろし 
    ゆふべもよろし       ( 句集『草木塔』 ~山行水行~扉の詞なり)

 分け入つても分け入つても青い山
 分け入つても分け入つても青い山

 ああなつかしき  たらちねの
 母の位牌を    おいづるの
 底におさめて   お四国の
 遍路を終えて   松山なる
 一草庵に     住みてより
 友あり酒あり   湯もありて
 伊予の風土を   愛しつつ
 腹はへっても   句は作り
  『草木塔』を   世に出しぬ

 うれしいこともかなしいことも草しげる
 おちついて死ねさうな草枯るる

 しぐれて柿の葉のいよいようつくしく

 無一物中     無尽蔵
 いのちをかけて  俳三昧
 天地一杯に    詠いける
 その名も高し   山頭火
 その名はゆかし  山頭火


<田村(佐竹)旭都さんのこと>(1905-1991)
NHKの全国ラジオ放送などでの幾多の演奏、日比谷公会堂での演奏会、北白河宮妃殿下の御前演奏などで華々しく活躍。
琵琶奏者として初めて「人間国宝」に認定された故山崎旭萃(やまざききょくすい)さんとも演奏活動をされていたそうです。東京で活躍されていましたが、戦争が始まり、松山へ疎開(愛媛県宇和島市吉田生まれ)。
大山澄太宅の近くに住み、知り合う。

この消えてしまっていた琵琶の名曲を、
愛媛琵琶連盟の見立旭庸さんが、再現してくれることとなりました。

まぼろしの琵琶「俳人山頭火」よみがえる!と題して、
本年10月10日(月・祝)15:00に、一草庵で山頭火さんに捧げます。
この生演奏・琵琶の弾き語り、是非お聴きあれ!

2011年10月5日水曜日

大山澄太先生へご報告。

93歳の澄太先生
9月26日は、大山澄太先生の命日だった。
松山は久米の四十九番札所・浄土寺へ墓参する。
           (法名は、「大耕院釋唯信澄太居士」)
ここには、書家で有名な三輪田米山の墓もある。

10月10日に琵琶「俳人山頭火」再現コンサートを、山頭火の命日を記念して
開催させていただく報告に行った。
先生が91歳の時、京都で講話「俳禅一味の山頭火」も今回のイベントの記念として、DVD作品にさせていただいたことも併せて。(正風さまのご好意で。)
 ご存知のように、大山先生は仏通寺山崎益洲老師のもとで、禅を修養され、
戦後、「大耕」を主宰し、一生を山頭火顕彰活動に尽くされた。


浄土寺のお墓

そして、俳人としては稀であろう、「定本山頭火全集」を世に出されたのであった。澄太先生なくして、今日の山頭火はいないように思える。
  生前、大山先生の名著「良寛物語」を読んで、大耕「涼風会」に参加し、
署名を恐る恐るお願いしたことを思い出した。小さく耕し、コツコツと自分を拡げていきます、と言ったら、小さく耕すとは何事だ。「大耕」なら書 いてもよいが、小耕など書かんといって激怒された。禅の警策で、カァーンと背中を叩かれたような記憶を。そのお顔を。忘れることはできない。      


良寛詩「花開時蝶来 蝶来時花開」 山頭火書 (大耕舎)
 

坐して観る山の向こうの山 澄太(松山市鷹ノ子 大耕舎)



夢さめて聴く仏さまの足音 澄太(岡山井原市)