今週の山頭火句

今週の山頭火句 すわれば風がある秋の雑草  山頭火

2011年5月29日日曜日

一草庵だより第13号

「一草庵だより」第13号をお届けします。(クリックすると、拡大表示されます。)

今回は「第4回俳句一草庵」の各受賞者と受賞句も発表しましたので、いつもより2ページ多くなりました。お楽しみください。

〈内容〉
・「一草庵」春の一大イベント展開     「山頭火俳句ポスト賞」発表と「俳句一草庵」
・俳句一草庵に寄せて  心安らぐ一草庵に思う
・「第4回俳句一草庵賞」  村上護特別賞設置
・第4回俳句一草庵賞
  俳句一草庵賞
  一浴一杯賞
  一草庵うどん賞
  各選者特選・入選句
  一草庵会場賞
  一草庵若葉賞
・案内人冥利
・眠りから覚めた庵庭
・案内人徒然ばなし
・山頭火エコバッグを作って
・事務局からのお知らせ
・編集後記


2011年5月7日土曜日

一草庵「今月の山頭火句」(5月)

  空へ若竹のなやみなし  山頭火       

昭和九年、其中庵という安住の地を得て、心穏やかな日を過ごせるようになった山頭火。この句は己自身の投影か、迷いも少しずつほぐれてきたのか。(ちとせ)


  一草庵広場に3月から「今月の山頭火句」を飾っています。
 山頭火顕彰の第一人者・大山澄太先生の薫陶を受けた俳人であり書家である梅岡ちとせ先生が、色紙に「山頭火の句」を、短冊に解説を書いてくれました。
 俳画もよくし、わさびの絵を添えてくれました。
 わさびが望む五月の空も、澄み切っているようです。 そして、今ではこの風景が一草庵に無くてはならないものとなりました。

(英訳 Into the sky,A young bamboo -Without pain. グリーン・ジュイムズ)



  この句は、「草木塔」の雑草風景に収録、昭和10年5月1日の作。
 高遠武馬氏(南蛮寺萬造、山頭火全集編者、法政大学教授)は、次のように解説していています。
 「5月の空、どこかに五月幟のはためく音さへきこえてきそうな爽やかな空へむかって、
 すくすくと今年竹が延び上ってゆく。それは、この世のけがれを知らぬ清浄無垢の象徴である。
 この身のいやらしさに比べてなんと清らかな姿であろう。あゝ、この若さがほしい、この力を我に
 与えたまえ-そういう山頭火の祈りの声がきこえるような句である。
 其中庵の裏側は竹藪になっていた。」
  一草庵の裏も、昔のままの姿で、やぶ椿の大木と竹林が残っています。

  こんな山頭火の句を見つけました。
    お寺の竹の子竹になつた
   若葉清水に柄杓そへてある
   青葉若葉のひとりです
   車窓(マド)から、妹の家は若葉してゐる
   柿の若葉が見えるところで寝ころぶ

2011年5月4日水曜日

一草庵だより 第12号

「一草庵だより」第12号をお届けします。(クリックすると、拡大表示されます。)

〈内容〉
・NPO法人まつやま山頭火倶楽部公式WEBサイトスタート
・俳句一草庵に寄せて  幾山河…の終焉地
・山頭火の広場
  山頭火との出会い
  松山を愛した山頭火
  山頭火に魅せられて
・村上護氏 ひょいと一草庵へ
・『第4回山頭火俳句ポスト賞』決定発表
・一草庵歳時記
・一草庵風景
・案内人、徒然ばなし
・〈今月の山頭火句〉
            
写真をクリックすると拡大されます。
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2011年5月2日月曜日

「第4回俳句一草庵」、ひとくちメモ。

「俳句一草庵」周辺での出来事を、写真で綴ります。

オープニング・セレモニーとして、会場の雰囲気づくりのために、山頭火案内人のスタッフに
歌を唄っていただきました。「古都逍遥」「古城」「みかんの花咲く丘」「ふるさと」の歌を会場の皆さんと一緒に斉唱。
オープニング・セレモニー

ボランティアで、いろいろな方々が応援してくれました。
バザーのお店、車屋台でのお茶やコーヒー、お菓子の接待、素敵な生け花が、会場を盛り上げてくれました。
オープン前の会場風景
お接待の屋台
草月流生け花











外人さん達も立ち寄ってくれましたよ。
受賞者への記念品は、スタッフで作った「山頭火エコ・バック」にいれて差し上げました。
(松山での山頭火は、口ぐせで”もったいない、もったいない” と捨てられたもの拾ってきて大切に使っていたそうです。)
報道陣も沢山来てくれて嬉しい限りです。
受賞者には、手作りの山頭火エコ・バックに記念品を入れて

2011年5月1日日曜日

「第4回俳句一草庵受賞俳句」のお知らせ

元気を出そう、震災をぶっ飛ばせ!「第4回俳句一草庵」開催される。

みずみずしい若葉の薫る4月29日に開催された「俳句一草庵」

先に上記のタイトルで「村上護特別賞」を発表いたしました。ここでは、「第4回俳句一草庵」当日の各賞を発表します。                                                                                                                     

「第4回俳句一草庵」では、短期間の俳句募集にもかかわらず、494句の俳句が集まりました。(一般の部230句、生徒の部227句、児童の部37句。)県外句は168句ありました。時事俳句として震災の句が30句ありました。

俳句一草庵当日、小西昭夫・白石司子・高橋正治・本郷和子・熊野伸二の各選者により各賞が決定されました。選考方法は、会場前方に俳句を10句づつ掲示していき、選者が旗揚げをして選考する方式です。会場を訪れた人々の見守る中で、次々と入選作品や各賞が選ばれていきました。聴衆参加型も目指して参加者の挙手も取り入れ、会場が一体となったなごやかな大会となりました。
                                  
俳句一草庵賞
野良猫が春の扉を開けて来る          松 山 安 悦子
(評)「野良猫」がよく効いている。「野良猫」だから「春の扉」をこじ開ける感じ
だろうか。もちろん、野良猫にも恋の季節が訪れてきたのだ。
春の訪れがいかにも嬉しい。そして、「野良猫」の力強さも。(小西)

一浴一杯賞
黒髪へ桜ひとひらずつの冷え         松 山 松井光子
(評)情景を想像するだけで、なんと美しくはんなりとした句であろうか
と思う。花冷えの頃花びらがひとひらずつ美しいその黒髪へ舞いおりて
  いるのだろう。花吹雪ではなく「ひとひらずつ」が、この句にゆったり
  とした情緒と品をかもし出している。(本郷)

一草庵うどん賞
揚雲雀空の深さを鳴きにけり         砥部町 日野幸子
(評)空高く舞い上がり、うららかな空へとつながる揚雲雀。だが、その
美しいさえずりさえも、作者にとっては宇宙空間の持つ深さ・重さを嘆
いてるかのように感じ取られたのである。
最短詩形である俳句にとって、「揚雲雀」に「鳴きにけり」をもってき
たことは少し惜しい気がしないでもないが、一句全体からは、東日本大
震災も連想されるし、「空の深さ」と暗喩を効かせたことが、一句を普遍
性のあるものにしていると思う。(白石)

小西昭夫選
<特選>
淡々と淡々と春東北に          香川県宇多津 中山喜博
(評)東日本大震災へのエールの句だろう。まだまだ復興のままならない地
域にも「淡々と」ではあるが、確実に春は訪れてきているのだ。人間の営
みよりも季節の営みは確かである。

<入選>
春炬燵ひとりぼっちの足二本         松 山 黒川礼子
(評)春になってもまだ炬燵を使っている。炬燵に入っているのは一人だけ。
だから、自分の「二本」の「足」をことさら意識する。それが春の愁いを
加速する。

白石司子選
<特選>
薄氷を跳び越へ少女登校す          松 山 米山千秋
(評)結構、あやうい少女期そのものが「薄氷」であろうか。思春期特有
の鬱屈感に包まれていた「少女」であるが、ある日、いや、ある時、突
然覚醒し、薄氷を踏むことなく、飛び越えて登校したのである。
もちろん、下五「登校す」は、少女の明るい未来を暗示。一句には、
作者の少女に対するやさしい眼差しが感じられる。

<入選>
桜蘂(しべ)ふる晩年の扉が開く        伊予市  稲岡幸子
(評)美しかった桜が散ったあと、地面が赤くなるほどにふるしきる桜蘂。
それはまるで晩年の扉が開くようだという句意だと思うが、「ふる」・「聞く」
と、一句にふたつの動詞を配したことが、何となくにぎやかな晩年の始まりを
想像させて楽しい。
全体的に見ると、下五の「扉が開く」とのバランスからして、上七の「桜蘂ふ
る」は「桜蘂降る」と漢字表記にした方がいいかもしれない。

高橋正治選
<特選>               
干されてシャツの笑うてる           大 阪 弓削酔魚
(評)姿勢を正しく見つめるとき人生の深さ面白さが分かってくる。
自らの心豊かであれば歓びを遠きに求めることは要らない、さて我が
心をも洗濯して見るか。

<入選>
「生きてますそれで十分」風光る       松 山 河野寿子
(評)今日の一日がくれてゆく雪とけの一滴が土に音を立てる、自然の
いのちのささやきである。この永遠が静かに息づいている早春の光が
窓を染める。「ありがとう」ひとり何ものかにむかって合掌する。

本郷和子選
<特選>
生者にも死者にも春灯            松 山 伊藤海子
(評)自由律である。この度の東日本大震災で、亡くなった多くの人にも今、
生きている人にも優しく温かな春の灯は点されているのだ。
歴史的不幸な出来事があった後ゆえ、生も死も、その境界は無く誰しもの
持つ死生観が読み手の胸に深く沈滞する感動の一句である。

<入選>
それっきり行先告げず草の絮       松 山 片岡寿子
(評)たんぽぽの絮は春であるが、草の絮は正しくは秋。絮を擬人化し
「行先告げず」とあり行方はだれも知らぬ、まるで山頭火の漂泊放浪
の旅のようである。導入部分の「それっきり」の使い方もユニークで
おもしろい。

野伸二選
<特選>
ふらここの揺れ残りをり昼の月        松 山 岡田偉子
(評)「ふらここ」は「ぶらんこ」のこと。古来、中国では「鞦韆(しゅうせん)」
と言って春の戯れとした。つい先程まで、ぶらんこを漕いでいた人がいて、その名残
りの揺れが続いている。空には白い昼の月が見える。戯れていたのは、恋人同士か、
或いは子供か。黒澤明の映画「生きる」で、死が間近かの老官吏が「命短し恋せよ乙
女…」と歌いながら「ぶらんこ」を揺するシーンを連想した。

<入選>
生者にも死者にも春灯            松 山 伊藤海子
(評)今春の東北地方太平洋沖地震は、3万人近い人々の命と財産を奪う未曾有
の災厄をもたらした。春灯は、辛くとも死を免れた人にとって「生きている」こと
を実感する灯であり、死者にとっては鎮魂の灯。大震災の春ならではの重さで、
読み手の胸に迫る。

俳句一草庵会場賞
花衣女の魔性たたみこむ            松 山 三好真由美
 (評)「花衣」は「華やかな衣」または「桜襲(さくらのかさね=表は白で裏は花色)」
を差し、桜の季節の女性の装い。花の美しさにふさわしいよう美しく装う時は、
女の性(さが)は、花衣の下へ包み隠されているということらしい。「魔性」を
深刻に解釈すべきではなかろう。(熊野)

朝という静寂の中の黄水仙           松 山 中本静枝
(評)「眠らない町」という言葉があるように、町から静寂が失われて久しい。
作者の住居は静寂の保たれた環境でもあろうか。すべてが活動を始める前の早朝、
静かな空気の中で水仙がすっくと立って鮮やかな黄色の花を咲かせているさまを
詠んでいる。「静寂」は「しじま」と読んで選句した。(熊野)

雛の宴童心になり語る母            松 山 橋本伎代子
(評)三月三日の雛祭は、雛壇を設けて雛を飾り、白酒や桃の花を供えて、祝う
平安の昔から続く雅な伝統行事。年老いた母が、幼児の頃の雛祭を回想して饒
舌なのを、相槌を打ちながら聴いている作者がいる。好ましい親子関係が見える。(熊野)
山笑ふことを忘れし四月かな          松 山 浅海好美
(評)「春山は淡冶にして笑うが如し」(中国宋代の山水画家・郭熙の画論)から、
「山笑う」は「春山」を示す。今年の春も例年と変わらず、芽吹きの山は「笑ふ」
状況だったが、甚大な被害の大地震があっただけに、作者には例年の如くには
見えなかったのである。山は泣いていたかもしれない。(熊野)

花冷えや心にひとつ穴のあき          松 山 宮内妙子
(評)桜の花時は天気が変わりやすく、急に冷え込むことがある。花は
うららかな陽光の下でこそ楽しめる。作者の「心に穴があいた」のは何故か?
東北の地震被災者が寒さに凍えているのを思ったのかもしれない。(熊野)
会場賞を選ぶ参加者
俳句一草庵若葉賞
十字架と隣り合わせに燕来る          伯方高   青木譲士
(評)「十字架」が東日本大震災を連想させる。少し理屈っぽいところがあるが、
その若々しさに好感が持てる。「燕来る」に救いが託されている。(小西)

春愁や赤鉛筆のしん折れる           飛騨神岡高 前田朱里 
(評)「春の物思いであり、憂えであり、哀愁である」と歳時記は「春愁」を説く。
うら若き乙女の作者は、どんな愁いを持っているのか。受験勉強で、参考書に赤鉛筆
でボーダーラインを引いていたら、思わず力が入り過ぎて芯が折れたのかもしれない。
そうやって成長していくのです。(熊野)

昭和の日父は頭を刈りに行く           伯方高   安部光陽
(評)四月二十九日は昭和天皇の誕生日であり、「みどりの日」から数年前
「昭和の日」と変わった。散髪に行くことを「頭を刈る」という少年らしい
表現と、父親の内面や人生感を幅広く想像させる奥深いものがある。
報告であって報告にとどまらぬものがある。(本郷)

小刀で鉛筆削る遠蛙              済美平成  和気由布子
(評)遠くなった少年の日の限りない郷愁を呼ぶ。自然に発する機能が調和
的に表現される。感じることはすばらしい、想うことはすばらしい。
昨日は去った、今日の新しい心で鉛筆を削る。(高橋)

ちょうちょとびいきものどんどんふえていく    湯築小   青野元哉
(評)「ちょうちょとび」だったら、まあ、当たり前の景。だが、「ちょうちょ」
から「いきもの」へと発想を飛躍させたところが何ともすごい!
そして「どんどんふえていく」が、日本の、そして世界のすばらしい未来
を予測。また全て平仮名表記を使用したことが、一句全体を明るいものと
させている。(白石)

第4回俳句一草庵「村上護特別賞」受賞者の発表

元気を出そう、震災をぶっ飛ばせ!第4回俳句一草庵」開催される。

4月29日(金)昭和の日、昨日までの荒れ模様の天気とは打って変わり、若葉輝く青空の下、「第4回俳句一草庵」が一草庵を会場として開催されました。
今回、村上護先生のご好意により「村上護特別賞」が贈られることになりました。
また、俳句一草庵当日の俳句賞として、「一浴一杯賞」と「一草庵うどん賞」が新たに設けられました。                                                                                                                        
第4回俳句一草庵では、短期間の俳句募集にもかかわらず、494句の俳句が集まりました。(一般の部230句、生徒の部227句、児童の部37句。)県外句は168句ありました。時事俳句として震災の句が30句ありました。
まず村上護特別賞についてご報告します。

特選を受賞された水口和江さん



村上護特別賞・特選

立ち寄りて歩き遍路も一草庵  
           松山 水口和江
(評)一草庵は山頭火の終焉の地である。道後温泉が近く一草庵の周辺もよく整備され観光客も多い。庵を訪う人も山頭火ファンをはじめ種々雑多。上五〈立ち寄りて〉はそんな多くの訪問の人々を指し、その中に混じって歩き遍路もいる光景を詠む。一草庵へと通ずる小径の手前の道は、霊場札所五十一番石手寺から道後を経て第五十二番太山寺と向かう遍路みちである。〈歩き遍路〉の措辞には山頭火への境涯に共感するものがあろう。「歩き遍路も立ち寄りて一草庵」との分脈とは峻別すべき一句だ。




村上護特別賞・一般の部入選
生きて来た今在る時間花辛夷    松山 太田美智子         (評)単に過ぎ去った時間でなく、心に積もる時間が詠まれ郷愁を誘う。白い〈花辛夷〉には過去 を甦らせる情感がこもる。

コロリ往生存分の桜かな                    松山 白石かがり          (評)ずばりコロリ往生と桜を結びつけた端的さがいい。これが自由律のよさでもあろう。

地球が寝返り打った地獄絵となる   長野 宮島周水              (評)日頃は花鳥風月しか詠まない俳人までが、人事句である震災俳句を詠んでいる。今こそ真価を発揮できるのは自由律俳句だろう。

  菜の花とよもだに惚け伊予が好き    松山 岩崎美世
 (評)〈よもだ〉は伊予方言でいい加減なこと。またそのような人を指す。け〉はしらばくれる意。それが伊予人の特質かもしれないが、菜の花と同列にして下五の〈伊予が好き〉とは俳味があっておもしろい。


村上護特別賞・生徒の部入選 
              
 燕来る姉の背を抜く妹よ             伯方高 阿部楓子           ()季節の移り変わりと背丈の変化を取り合わせてうまい表現だ。

春動く旅立つ気持ち持ちて今        飛騨神岡高 大平紘生        ()山頭火の俳句を有季定型に焼き直したかの俳句だ。気分がよく出ていて、山頭火が生きていてこれを見たら「そのとおり」というかもしれない。

 村上護特別賞・児童の部入選


犬ふぐりほのかな色にゆめ気分    清水小 永谷悠季           ()日当たりのよい早春の野で見つけた犬ふぐりの花であろう。そのほのかな色に触発された〈ゆめ気分〉には詩情がたっぷりとある。